Web 鼎談:コンピュータ・サイエンスは21世紀の基礎科学になるか?

総集編 No.10

月の鼎談

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10.1.「実在 vs 探求方法」の対立構造

12月の鼎談から
根上,松井: 「なんでもあり」を主張してきた渡辺さんは, 「対立構造などないのです, ルールを決めて世界を探究すること自体が目的化しているのです」と言われるのですか?

[0196] 渡辺 CSでは物理のように真の世界が一つではないのです.

この突っ込みは厳しいですね. 実のところ私自身の研究も, そういった対立構造を強く意識しながら進めてきたところがあります.

ただ,大きな違いは世界の個数です. 物理ならば物理空間は一つです. もちろん, 見方(いわゆる階層構造のどこで見ているか)によって, どんな空間が対象になるかは変わってきます. でも, 究極には真実の物理構造は一つです.

一方,CSでは真の世界が一つというわけにはいかないのです. たしかに, 私のやっているような計算の複雑さの理論では, 世界は一つ,真理は一つという面があります.

それに対してプログラム言語の研究などをしている人にとっては, 世界はいくつもあるような気がします. 比喩的な言い方ですが国の法律を考えてみてください. 国によっていろいろな法律がありますよね. また,その運用方法も様々です. それを統一的に見て, ある国の法律が妥当で, ある国の法律は,おかしい,と議論するのは,無理がありますよね.

[0197] 根上 CSにおいても真の世界は一つだと思います.それが「究極の仮想空間」です.

対立構造は「実在」vs「探求の方法」という構図になっています. 私は,計算機科学においても,この構図はあると思うのですが.

渡辺さんは, CSが扱う世界が複数あることを根拠に, 「実在」の存在を否定して, 私の言っている対立構造を否定しようという論法なのですか?

いずれにせよ, 私はCSにおいても真の世界は一つのような気がするのです. それは, 最近私が勝手に使っているコンピュータ・ワールドというやつです. それは, 現存のコンピュータのディスプレイの中で展開されている具体的な世界というよりも, 究極的な仮想空間のようなものです. それがどういう姿なのかは今の私たちにはわからないので, いろいろと研究をしている. それがコンピュータ・サイエンスなのではないでしょうか.

渡辺さんが言われたプログラム言語を国の法律にたとえた比喩はたいへんわかりやすいと思います. でも, 究極の仮想空間, もしくはそこで起こることを表現するために, いろいろな人が研究した結果として, いろいろな言語が登場してきたのだととらえることもできます.

世界はひとつだけれど, いろいろな言葉を話す人がいるというのはおかしな構図ではないでしょう.

[0200] 根上 対立構造がないと, 「CSは数学を矮小化したようなもの」になってしまいますよ.

ちょっと意地悪的に言うと, 渡辺さんの主張を前に述べた言葉で表現すると, 「CSは数学を矮小化したようなもの」ということになってしまいます.

[0201] 渡辺 探求する対象の自体は確かに浅いです. だからと言ってCS自体が 「数学を矮小化したもの」とはならないのでは.

う〜ん. 「計算機科学者は論理の暗算だけなんですよね」 は手厳しいですね. 実は,私の研究は多くのところ数学的直観に従って進めてきたところが多いです. それは数学に近いからです.

根上さんがおっしゃるように, ルールとして明文化された世界は, もっと神秘的な真理に基づく世界より, 本質的に「矮小化」された世界でしかありません. 端的に言えばつまらない世界でしょう.

だからと言ってCS自身がつまらないものか?というとそうではないと思います. というのも, その矮小化された世界自身がコンピュータ・サイエンスなのではなく, そうした世界(無数にある)を探求する方法, あるいは, ルールによって定義する方法自体がコンピュータ・サイエンスだからです.

「群」という概念に代表される数学的真理が最も大切なことで, それを探求するのが群論であるのに対し, その探求方法が重要なのがコンピュータ・サイエンスなのです. 非常に極端に言えば探求される対象自身はどうでもよいのです.

もちろん, 個々の研究者や個々の研究課題においては, 対象となる世界自身の解明は非常に重要なことです. でも, コンピュータ・サイエンスとして意味があるかどうかは, また別なことなのです.

10.2.CSをとらえる二つの選択肢

[0204] 根上 う〜む.CSに対する二つの見方があるようです. 1.究極の仮想空間の探求,2.探求方法の探求

う〜む.そうなってくると,私にとって二つの選択肢があるようです.

私自身は, 数学と同様にコンピュータ・サイエンスだって 真実の世界(=究極の仮想空間)とその探求方法という対立構造があると思っています. これはすでに述べた一つ目の選択肢です.

もう一つの選択肢は, 渡辺さんの上の言葉を信じて探求方法のみが意味を持つのが コンピュータ・サイエンスなのだと思うことです.

もし後者を選択するとすると, ここままで述べられたきた方法論だけではあまりにも貧弱ではないでしょうか? 探求方法自体が研究の目的なのだとすると, ただ論理の暗算以上の何かがないと数学からはみ出た新しいものが見えてきません.

[0212] 松井

なんか,いきなり煮詰まった選択肢が出てきましたね.

そうなのです. こういうときはもっと注意して相手が何を意図しているのかを確認すべきだったのです. 実際, 私は根上氏の選択肢2を次のように誤って解釈してしまったのです.

根上氏の選択肢2:
CSは探求方法の研究=
「どうやって研究するか?」 といった学問の方法論の研究のような「メタ」な研究.
渡辺の選択肢2:
CSは探求方法の研究=
アルゴリズムやプログラミング言語のように, 問題を解いたり形式化したりするときに使う道具(方法)の研究.

ですから, たとえばアルゴリズムの研究は, 根上氏の考えでは探求方法の研究ではないのです. 私はうかつにも「メタ」の意味を, いろいろな分野に「共通なもの(汎用)」と取ってしまったのです. この両者は完全に違った見方というわけでもないのですが, すれ違っていることは確かです. そのすれ違いのために議論がかみ合わない部分が, 以下,この月の終わりまで続きます. それなりにおもしろいとは思いますが, 先を急ぐ方は来月に飛んでしまってもいいでしょう.

[0205] 渡辺 選択肢2でしょう.

「探求方法のみ」という言い方は極端かもしれまんが, 二番目の選択肢を信じてもらうしかないですね.

「探求方法」には, アルゴリズムの設計や計算の複雑さの解析も含まれていること, そして, ただ探求方法だけではなく, その表現方法も重要な課題であることを言っておきます.

[0205-2] 渡辺 解釈も含めて法をデータベース化する研究など, 従来「技術」と思われていたものを「科学」するのがCSです.

さてその上で敢えて質問しますが, 本当に「数学からはみ出た新しいものが見えない」でしょうか?

たとえば数学では 「日本の法体系(法律を含めて,日本が日本人が従っている規則)をどう記述すればよいか」 ということが真剣に議論されたでしょうか?

法律だけを記述しても,まだ法体系としては不充分です. 法律だけでは,すべてを書ききれないからです. そのため「解釈」が必要となり, そのために法廷で「解釈」が,しばしば論議されているわけですし, またそれは弁護士の重要な仕事の一つだと理解しています.

その「解釈」をすべて含めて記述すれば, 一応,現在の法体系の多くの部分を記述できたことになるでしょう. でも,それはあまりに量が多すぎます. しかし, 数学的に見れば有限の場合分けの記述なのですから原理的には可能です. つまり, 数学者から見れば, これは単なる「技術論」なわけです.

コンピュータ・サイエンスでは, これを単に技術の問題とはせず, 科学として探求しようとしています.

では, 「法体系を記述する」という課題に対して, CSがどんな解答を出せるでしょうか?

まずは書き方です. 記述方法です. たとえば, この Web page のように 「ハイパーリンク構造を持って書く」という新しい書き方を提案することができます. でも, いくら構造化をうまくしても量があまりに多いと, それだけではとても手に負えない代物になってしまうでしょう.

そこで登場するのが「エキスパートシステム(専門家システム)」という考え方です. 簡単に言えば仮想弁護士です. こうした仮想弁護士を提供することで, 法体系を「記述する」という手段を提案するわけです.

では,そうした仮想弁護士をどうやって作るか? それには, データの整理方法から,データから法則を発見する方法, 使用者との対話を通して,本当に何が知りたいかを知る方法など,いろいろな問題が出てきます. こうした問題を解決するアルゴリズムを開発したり, あるいは,表現方法を考案したりすること, これは,今までの数学でやられてきたことでしょうか?

[0207] 根上 仮想弁護士ということですね.

法律の例えはいいですね. 法律の「解釈」は弁護士の仕事というのはうなずけます. そして, 「法律」と「解釈」という対は, 私が言っている対立構造ともうまくマッチする言葉です.

というわけで, 「法律」と「解釈」という組み合わせはグッドですが, 渡辺さんの「解釈」というのは, 「法律をさらに細かく設定する」ということですか? 法律の条文には書かないけれど, 別の誰か(仮想弁護士)には, その細かい条文も教えておいてあげる,とうことなのでしょうか?

[0213] 松井 法律の例えは危ないですよ.

法律の例え話はあまり良くないと思います.

法律の文章と解釈の後ろには, 法の精神という, もっと複雑なものが控えているからです. したがって, 例えにするには複雑過ぎます.

この後, 松井氏は我々の説明の未熟さを指摘してくれました. それでは深入りするのはやめよう, ということで法律の話は立ち消えになりました. 私としては仮想弁護士の話をもう少ししたかったのですが,... 勉強不足でした.

10.3.選択肢2「探求方法の研究」の解釈をめぐって

[0208] 根上 選択肢2「探求方法自身」とはメタな研究ということです. アルゴリズムの考案ではなく, 考案方法自体の研究です.

では法律の話は抜きにして渡辺さんの質問に対して答えましょう.

まず明確にしておきたいのですが, 私も「探求方法自身」が研究対象となっていることは新しいと認定しています. ただ,この言葉の「解釈」がちょっとわかりにくかったかもしれません.

アルゴリズムなの話にすると, 何か解きたい問題があったとすると, それを探求する方法がいろいろなアルゴリズムを開発することです.

「探求方法自体」の研究というのは, アルゴリズム自体の研究ということですが, それを「いろいろなアルゴリズムの考案」と考えるのではなくて, 「アルゴリズムを考案すること自体」の研究と考えてください. よく「メタ」という接頭辞を使って表されることです.

まあ, 数学と数学基礎論の関係のようなものですね. 数学は「論理的に考える」という探求方法(それだけではないけれど)を持っていますが, 数学基礎論は「論理的に考えること自体」は本当に正当なのだろうか, 「論理的に考えることとはどいうことなのだろうか」 と問うことで生まれる研究ととらえることができますよね.

数学と数学基礎論の関係はまではよかったのです. それを 「アルゴリズム研究とアルゴリズム研究方法論」と対比させていたのが根上氏. 一方, 私はアルゴリズム研究自身が数学基礎論の研究に対応すると考えていたのです.

となると, 私の第二の選択肢は, アルゴリズムの良し悪しの議論ではなくて, 「アルゴリズムで考えること自体の正当性を考えること」ということになります.

もしそうならば 数学を超えた新しいものと認定してもいいです. でも, その超えたものを表現するキーワードが「論理の暗算」だけでは貧弱だといっているのです. 数学を超えているなら, 誰もが知っている「論理」以外の何かがあってもいいのではないか, と期待しているのです.

私の期待に応えるようなことを,言ってほしいなぁ.

[0218] 松井 根上さんの「「メタ」な研究」が, 渡辺さんの「探求方法の研究」に対応するのですか?

確認したいのですが, 渡辺さんが「「探求方法」の研究」といわれているに対し, 根上さんは「「メタ」な研究と呼ばれるもの」と形容されています. この根上さんの形容は, 渡辺さんから見て正しい形容なのですね .

[0219] 渡辺 はい(←誤解), 各ドメインサイエンスに共通するメソドロジーの研究です.

はい,そうです.「メタ」などという片仮名を使いたくなかったので :-)

本当はだいぶ違っていたのですがね. この時点では気付いていませんでした.

もし片仮名を使うのならばメソドロジーの研究ともいえます. これにはアルゴリズムも当然入りますが, 表現方法も含みます. 一方, 物理や数学は対象に興味があるので, ドメインサイエンスなどとも呼ばれています. もちろん, CSでもメソドロジーを対象とすれば, それに関するドメインサイエンスなのですが. ああ,とうとう禁断の片仮名を使ってしまった...

[0220] 根上 でもそれは単なる方法論の研究なのでは?

まあ,そう嘆かないで. カタカナを使ったおかげで,少しは威厳が出てきた感じがしますよ.

でもメソドロジーをもう一度日本語に直すと「方法論」ですよね. 研究者どうしの会話で「方法論」と言ってしまうと, なんだか低レベルな感じにも思えてしまいます. 「よく,それは単なる方法論だからね...」などといって, やっていることを批判することがあるでしょう.

数学の場合だったら, 高校までで習う数学は「方法論」でしかない. 真の数学では, 真理に触れたり概念を理解したりすることが重要なのであって, 公式運用術に執着している段階は, まだまだだとよく言われるわけです.

渡辺さんの言っている「メソドロジー」はそういう低レベルのことではないですよね.

[0222] 渡辺 もちろん「公式の使い方」のようなものではありません. 公式を導き出すような研究です.

はい違います. 公式の使い方だけのような「方法論」の研究では意味がありません. それは, この鼎談のはじめの方で(暗に批判した) ソフトの使い方を議論するだけのコンピュータ・サイエンスです. 真のコンピュータ・サイエンスは, 公式そのものを導き出すような「方法論」の研究です.

[0221] 根上 探求方法が探求する対象はどこへいったのですか? CSの中,外?

それともう一つ質問です. メソドロジーの「メソッド=探求方法」が適用される対象はどこに行ってしまうのでしょうか? その対象はCSの外にあるのですか?

私が提案した第一の選択肢の場合には, その対象は「究極の仮想空間」に登場するものすべてということになります. だから「対象」はCSの範疇からははみ出さない.

第二の選択肢を選んだ場合には, その対象はどうでもよいことになってしまいます. これを否定的な意味で捉えないでください. その対象がどうでもよいということは, それがコンピュータに関係したことでもよいということです. となれば, CSが対象としている「メソッド」は, 何にでも(多少の制限は許すとして)適用できるものということになります. 「だから, 科学のいろいろな場面で応用される「基礎科学」になりえるのだ!」 という理屈がつくとは思います. (この考えを私が支持しているわけではないです.)

[0223] 渡辺 記号化してしまえば中ですね. 記号化の前段階もありますが...

これは微妙ですね. 対象が「記号化」されてコンピュータの上へ取りこまれた時点で, それは完全にCSの対象になると思います. たとえば, 砂時計の動きの詳細なシミュレーションモデルを作って, それをコンピュータの上に載せたとします. するとそのモデルの動きの解析は,十分,コンピュータ・サイエンスといえるでしょう. ただ, そのときに元の砂時計をあくまで意識して解析すれば物理のままです. 一方, 元の砂時計とは切り離して解析するようになると, それはまさしくコンピュータ・サイエンスになるでしょう.

そういう意味では 根上さんの一番目の選択肢に近いのかなぁ? ただ, 記号化する技術自身もCSの重要な研究テーマの一つです.

[0226] 根上 探求方法の研究となると, いろいろな探求方法を列挙して比較検討するぐらいしか思いつきません.

どうもわからないな. 探求方法の研究となると, いろいろな探求方法を列挙して比較検討するぐらいしか思いつきません.

たとえば, 単純に「方法論」という低レベルなことでよければ, 論理的に考える,数式を計算する,微分してみる,積分してみる,などのメソッドがあります. 私の専門のグラフ理論では, 図に書く,グラフ化する,彩色する,偶奇性を考える,対称的に配置してみる,などなど, ある意味で直観を形式化するメソッドがたくさんあります.

このような探求方法(メソッド)の列挙自体は, ある意味で探究方法の研究の出発点かもしれません. でもそれは, いろいろな方法に共通するものは何かと思いを巡らすとか, 自己観察とかいったものです. そういう行為を「基礎科学」とは呼ぶ気にはなりませんよね.

こういったメタな探求がはたして意味のあることなのでしょうか? (教育がらみでいうと,そうメタな探求が必要だと,私はよくいいますが, ここでの議論とは別の話です.)

ある意味ではこういう研究も含んでいると主張すべきだったと思います. そうでないと, CS完全に記号を扱うだけの科学になってしまうからです. やはり, CSには根上氏の言う意味での「メタ」な部分も必要です. 正直なところ, 根上氏の選択肢1と選択肢2の中間の選択肢1.5が欲しかったですね.

[0230] 渡辺,松井 どうも論点がずれているような気が...

う〜ん.どうも論点がずれているような気がするなぁ.

[0231] 根上 選択肢2破れたり! 混乱を生んだ原因は選択肢2を選んだからですよ.

こういう混乱を生んだ原因は, 私が提示した二つの選択肢の二番目の方を選択したからですよ. CSを探求方法自体を探求するという研究だと宣言したから, 私がいろいろと突っ込んでいるだけです.

私自身は第二の選択肢を支持しているわけではないが, それを選択した場合こういう理屈がつくのでは,と話を進めてきたわけです. その結果,どうやら,その理屈に対応できるようなことにはなっていない, というのが,二人が示してくれた結論ですよね.

CSのメソドロジー的な側面を完全に否定しようとは思いませんが, 探求方法自体の探求というメタ研究的な側面は否定せざるをえないのではないですか?

それともCSにはメタ研究的な部分もあるし, 計算機科学者ならそれが何ナノかもわかっているけれど, それを雄弁に語るほどに計算機科学者の自己相対化が進んでいないということなのでしょうか?

まさにそうでしたね. 渡辺(計算機科学者の一人)の CSに対する哲学が練れていなかったのが問題でした.

この後, 私がバルセロナへ出張することもあって, この議論は立ち消えになります. 以下に続く議論は私が帰国後のもので2月分として収録されているものですが, 話の流れを整理する意味でここに取りこみました.

[0268] 渡辺 メタな研究はだめなのですか? アルゴリズムの研究のどこが悪いのでしょうか?

もう少し食い下がらせてください.

根上さんは「CSのメタ的な側面は否定せざるをえない」といわれましたが, ここのところがどうしても気になります. なぜ,メタな研究をしてはいけないのでしょうか? たとえば,アルゴリズムの研究のどこが悪いのでしょうか?

というか, 多少,誇張はあるけれども, メタな議論になって,はじめてCSといえると思うのです. 個々の世界に対する探求法ならば, それはドメインサイエンスのうちで語られるだけですから.

[0270] 根上 だめなのではなくて, アルゴリズムの研究などは, 私流の「メタな研究」になっていないのです.

誤解のないように述べておくと, 私はメタな研究をしてはいけないとは言っていませんよ. 渡辺さんが説明していたことが, 「メタな研究」になっているかどうかを吟味した結論として, 私流の意味での「メタな研究」にはなっていと判断しただけです.

私がいうところの「メタな研究」という言葉の意味が伝わっていないと思うのです.

前にも述べましたが, 私の感覚では「アルゴリズムの研究」はメタな研究には思えません. すでに渡辺さんが説明してくれた, 作図の問題や学習理論の話はアルゴリズムの研究だとは思いますが, それがメソドロジーの研究だとすると, 対応するオブジェクトは何ナノですか?

そもそもアルゴリズムはメソッドのように思われがちですが, そのメソッドが適応されるオブジェクトがないのだったら, それ自身がオブジェクトなのだと思います. つまり, 私のいう究極の仮想空間の要素の一つなのです.

[0271] 根上 そもそもオブジェクト(対象)とメソッド(方法)を 絶対的に区分けすることにも意味がありません.

そもそも渡辺さんも言っていたように, オブジェクトとメソッドを絶対的な尺度で区分けすることにも意味がありません.

数学教育の専門用語で, 「ファンヒーレの理論」というのがあるのですが, 子供の学習段階では, オブジェクトを解析するメソッドが次に段階のオブジェクトになると言われています.

たとえば, 子供が身の回りにあり物を見て, 「四角」だの「丸」だのと言うのが最初の段階です. 身の回りのある物がオブジェクト(対象)で, 「四角」や「丸」という呼称がそのオブジェクトを操作するメソッド(方法)です.

次の段階になると, 「四角」や「丸」という呼称だけの存在が, 「辺が4本ある」とか「直角がある4つある」とかいう性質で図形を見るようになる. つまり, 前段階のメソッドだった「呼称」を操るメソッドが「性質」なわけです.

このように, 対象と方法という組が1つずつずれていって学習段階が進むというわけです. この「ファンヒーレの理論」を支持するかどうかはともかくとして, ドメインサイエンスとメソドロジーの関係と似ているとは思いませんか.

つまり, 現段階でCSがメソドロジーだという主張しても, ある時期がくればメソドロジーではなくなる可能性を秘めているわけです. メソドロジーを「新しい基礎科学」を形容するものとして採用してしまうと, その新しさは時間に依存したものになってしまいます. 私は質的な新しさを期待して「新しい」という言葉を使いたいのですが.

[0276] 渡辺 オブジェクト(対象)とメソッド(方法)は相対的なものだ, というわけですね.

根上さんの説明は, プログラミングにおけるオブジェクトとメソッドのようなことに対応すると思います.

最近のプログラミングのスタイルにオブジェクト指向型プログラミングというのがあります. その流儀では, 操作の対象となるのがオブジェクト, 操作がメソッドと呼ばれています. しかし, オブジェクト,メソッドは相対的なものです. メソッドであっても,それがまた階層が上の操作の対象となればオブジェクになります.

数学の言葉で言えば関数がメソッドです. でも,関数を対象とするような汎関数に対しては, 関数自身はオブジェクトです. こういったオブジェクトとメソッドの相対的関係, 階層構造を根上さんは言われているのですよね.

[0277] 渡辺 それは各ドメインサイエンスと それに共通するメソドロジーの研究の関係とは違った関係ですね.

確かにメソッドとオブジェクトにはこのような関係もあります. しかし, 私がドメインサイエンスとメソドロジーと言った場合には, こういった相対化は当てはまらないと思います.

はたして, ドメインサイエンスは相対的な対象としてのオブジェクトに対応するでしょうか? 私は,そんなに軽いものだとは思いません. 「ドメインサイエンス」という片仮名語を使ったのが悪かったのかもしれません. ドメインサイエンスは, 即席日本語で言えば,「既存学問分野」です. 既存学問分野を相対的なオブジェクとみなすのは,おかしいと思うのです.

[0289] 根上 メソッド自身を研究することを「メソドロジー」と言っているのですか?

「既存学問分野」と言い換えても混乱は解消できないのではないですか. というのは, これは「メソドロジー」との対にやる言葉とは思えないからです. 既存の学問分野の中にもメソドロジーがあってもいいわけでしょう.

一つの学問分野の中には, その分野の研究対象とその研究方法が対になって納まっています. これをオブジェクト指向プログラミングにおける オブジェクトとメソッドの関係と見ることもできるでしょう.

渡辺さんは, そのメソッド自身を研究することを「メソドロジー」と言っているのですか?

[0277] 渡辺 はいそうです.動物生態学者の例で説明してみましょう.

はいそうです. 例をあげて説明してみます.

たとえば, 我々三人が結構知っている話題でボロノイ図というのがありますよね. 簡単に言えば, 空間中の各点の縄張りを示すような図です. このボロノイ図については, 計算幾何学というコンピュータ・サイエンスの分野で, その性質やら求め方やら使い方が深く研究されてきました.

さて, ある動物生態学者が, 動物の縄張り形成の状況を計算機上にモデル化し, それをシミュレーションするプログラムを作ったとします. その生態学者はプログラミングに関してもかなりの才能を持っていて, 彼の作ったプログラム中にはボロノイ図を高速に解いてしまう部分が含まれていたとしましょう.

さて,そのときの彼のプログラムは, コンピュータ・サイエンスの研究成果と言えるでしょうか?

私の答えは No です. 彼が,そのプログラムが何をやっているかに気づき, それが他の分野にも応用できることを見出し, その上で速い計算方法を示すまではCSではない. あくまでもドメインサイエンスの域を脱しない, というのが私の考え方なのです.

あまりこれにこだわるのも危険なのですが... HREF

[0280] 根上 その見方は O.K. です. ただ, 計算機科学者は,そのように様々な分野に気を配っているのですか?

渡辺さんの意見には,以下のように字句を修正した上で了解してあげます.

彼がそのプログラムが何をやっているかに気づき, 生態学とは独立な概念で記述できることを知り, その上で計算の高速化の障害となっている構造を発見するまでは, それはあくまでもドメインサイエンスの域を脱していない.

ただ,計算機科学者がいろいろな分野に気を配って, 自分の理論が応用できる事例に強い関心を持っているとは思えないのですが... (少なくとも数学者はそうです.)

また, ただ速い計算方法を見付けただけでは, 私はそれを「メソドロジー」と認定しても「メタな研究」とは認定しません. 速いアルゴリズムはなぜ速いのか, 速いとはどういうことなのかと問わないと「メタ」ではないのです.

[0290] 根上 メタ,メタでない,の関係も相対的なものです. また時間とともに変ります.

渡辺さんの発言を読み返して,「メタ」の良い例が思い付いたので述べておきます.

オブジェクト指向プログラミングを考案した研究は,「メタ」な研究のように思えます. 「プログラムするとはどういうことなのか?」 という問いかけに対する一つの答えがオブジェクト指向プログラミングだったわけでしょう. その問いかけの研究は「メタ」です.

ただ, C++ とか Java とかの個別言語を使ってどういうプログラムを作るか, という議論を始めてしまうと, それはメタではありません.

「メタ」な研究も「メソドロジー」と同様で, 物がはっきりと見えだしてくると「メタ」という印象が薄いものになっていきます. オブジェクト指向の例で言えば, オブジェクト指向という発想に至るまでは十分に「メタ」で, 一つの言語を設計する段階も「メタ」研究に近いけれど, その言語の設計が完成してしまうと, それを研究対象とする普通の研究(=「既存学問分野」)と同じになります.

数学基礎論にしても, 当初は「メタ数学」だったのだろうけれど今となっては「数学」に見えます.

「メソドロジー」にせよ, 「メタ研究」にせよ,私 の言葉づかいでは相対的な言葉です. したがって, そういう言葉を使って述べた命題は時間とともに意味・価値を失っていく可能性がありますよ.

[0291] 渡辺 はい,よくわかります.

大分理解が深まったような気がします. 私も「メタ的な研究」は, 上のオブジェクト指向という手法の形成のような研究のことを意味すると思っています. もちろん, オブジェクト指向という考え方だけでは, ひ弱なので,その考え方を具体化する道具としての言語の設計までがメタ的な研究です.

一方, その言語そのものの研究となると, 確かにメタな研究にはならなくなりますね. メタであるにせよ,ないにせよ, それらはすべてコンピュータ・サイエンスの研究であることは確かです.

10.4.そして結局,選択肢1「究極の仮想空間の研究」へ

[0292] 渡辺 「探索方法の研究」の解釈で食い違いがあったのですね. 「根上:探求方法のメタな研究」と 「渡辺:分野から独立な汎用な探求方法の研究」

少し整理してみます. 根上さんは,階層的に上位(メタな)の研究方法をさして「探求方法」と呼ばれているのだと思います. それに対し, 私は既存学問分野から独立なものという意味で「探求方法」という言葉を使っていました.

確かに根上さんが言われるように, 各学問分野にもそれ独自の探求方法が当然あります. 探求方法は,研究対象と同様,分野を形作る重要な柱です. ということは,逆に,各分野の探求方法は, その分野の歴史や哲学に引きづられることになります.

そうした背後の思想から独立な探求方法について議論するのがコンピュータ・サイエンスですよ, ということを言いたかったのです. それが「探求方法自体を研究する科学」の意味です.

[0295] 根上 既存分野から独立なメソドロジーの研究がCSだといいたいのですね.

研究対象と研究方法の対で1つの研究分野ができていると考えるとして, その分野の研究方法を研究していたメソドロジーの汎用性に気づいて, 他の分野の研究分野の研究方法にも適用できるものを生み出せると, そのメソドロジーがCSに昇格するというわけですよね.

渡辺さんの主張の内容をこう理解していいでしょうか?

[0300] 渡辺 はい,汎用性がポイントです.

はい,O.K. です. ただ, 根上さんは「メソドロジー=研究方法の研究」という使い方でしたので, カタカナを排除してわかりやすくすると,

研究対象と研究方法の対で1つの研究分野ができていると考えるとして, その分野の研究方法の研究の汎用性に気づいて, 他の分野の研究分野の研究方法にも適用できるものを生み出せると, その研究方法の研究自体をコンピュータ・サイエンスと呼ぶことができる

となります.

「昇格」という言葉も取りました. いつも一段上というわけではありませんから. CSが提供する研究手法は, 既存学問分野の人にとっては「矮小化された」研究方法であったり, あるいは「ずるい」研究方法の場合もあるからです.

でも,「矮小化された」にせよ,「ずるい」にせよ, 今までの各学問分野で考えられていなかった新しい見方を提供するという意味で, 新しい基礎科学になりえるのだと思うのです.

[0298] 松井 私は選択肢1がいいと思います. 「究極の仮想空間」は, この世界を探求するための方法になるのでは?

うぁ〜.大変な量になってる!!!

とりあえず,皆さんの議論を見たところでは, 私は第一の選択肢に大きく感じるようになってきました.

もしかして「基礎科学」とは, その学問自体が この世界の認識のためのメソッドとなりうる事なのではないでしょうか?

その意味では, 「究極の仮想空間」はその名前の暗示する通り, この世界を探求するためのメソッドではないでしょうか? ですからこれが基礎科学への道筋のような気がします.

[0302] 根上 しかも, 渡辺さんの言っていることは 「究極の仮想空間」の世界観に吸収可能です.

そうですよね. 渡辺さんの言っていることは, 「究極の仮想空間」をキーワードとする世界観の内部で起こることとして吸収可能だと思うのです.

「基礎科学とは,世界を認識するためのメソッドだ」というのも気に入りました.

[0293] 渡辺 「ルールに基づいた世界」という面をとらえればそうです. 仮想世界だけではCSらしさが薄れる危険がありますが.

確かにルールに基づいて議論する,という面をとらえれば, 根上さん流の「究極の仮想空間上での議論」ということになるでしょう.

ただ,CSを (あるいはCSから生まれる未来の基礎科学を), 究極の仮想空間を考える科学とするには抵抗があります.

というのもルール化して仮想空間上にのっける作業自身も コンピュータ・サイエンスの重要な研究の一つだと考えるからです. 確かに仮想世界に移ってからがCSの出番ですよ, それまではドメインサイエンスの領域ですよ, といえば,きれいにすっきりします. でも, それでは従来の数学や物理とあまり変わりがありません. 一番最初から言い続けているように, コンピュータ・サイエンスが「新しい」基礎科学になるという意味は, そうした学問のはざままで含めて「やり方」を提示するという点にあります.

ですから, 仮想世界だけに閉じこもるのはCSの重要な側面を失う恐れがあると思うのです. でも, 今までの私の話の大部分は仮想世界上のものだったことも確かですね.

[0282] 根上 ですから, 「究極の仮想空間」 を対象とする科学という見方で議論しましょうよ.

そうでしょ. コンピュータ・サイエンスから生まれる基礎科学を 「究極の仮想空間」を対象とする科学であるというビジョンの中で十分語ることができると思いますよ.

その際大事なことは, 「CSから生まれる」という部分です. 現存のCSは新しい基礎科学かどうかということを語り合っているのではないですよね. もちろん, 現在の状態を理解した上で未来を考えるという意味では, その問いかけも無駄ではありませんが.

という訳で, 第一の選択肢を選択することでイメージ作りをはかりませんか? 彼はしばらくスペインに行っているみたいなので松井さんとしばらく語り合っていましょうよ.

==> 2月の鼎談へと続く

というわけで紆余曲折のすえ, 根上氏のねらい通り(?)究極の仮想空間の上の話をすることになりました. (本当はこの後も1月分が続くのですが, キリがよいので2月分にまわすことにします.)

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