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鼎談エピローグ

[0404]根上 生也 2000-01-21 (Fri) 07:46:09

いずれにせよ,連載も終了するので,ここらで,渡辺さんが最初の方で述べていた,教養科目として「計算機科学」を指導する,という話に戻ってみませんか?
[0405]松井 知己 2000-01-22 (Sat) 02:41:37

そうですね.
この鼎談の始めのほうで,
情報科学の教育が,計算機リテラシーと思われている,
という話題がありましたね.
鼎談をやっていて,自分自身が,リテラシーと計算機科学教育を
ごっちゃにしていると気づかされる事が,何度もありました.
世の中には,まだまだそういう人達は多いでしょうね.
[0406]根上 生也 2000-01-24 (Mon) 12:48:21

でしょうね.

でだ.

計算機科学観,もしくはそれから生まれるであろう基礎科学について,三者三様に語ってきたわけですが,その議論と渡辺さんが教養科目としてやっていこうとしている「計算機科学」とは,どういう関係にあるのでしょうか?
[0407]渡辺 治 2000-01-25 (Tue) 00:31:11

おっと.そうきましたか.実は,昨日,家で次のようなメッセージをパソコンにタイプして,今日,アップロードしようと思っていたのです.

>さて,1年間ということで4月から始めた鼎談も,いよいよ最後になってき
>ました.ここらあたりで,各自,最後の締めくくりの一言でもいってみませ
>んか?

ちょっと早かったようですね.ただ,折角書いたので,載せておきます.

===== 以下はまとめのときに再度? =====

コンピュータ・サイエンスが新しい基礎科学になるのではないか?という考え(妄想?)を無謀にも持ち出して,連載を始めてしまいました.確かに,根上さんが指摘されたように,「基礎科学とは何ぞや」ということすら考えずに議論をはじめてしまったのですから無謀な試みでした.

もっと言うと,なぜ「コンピュータ・サイエンスは新しい基礎科学になる」と主張するのか,明確な考えができていないままのスタートでした.今から考えてみると「そんな気がする」という直観の域を脱していなかったかもしれません.

しかし,皆さんと議論してもまれていくうちに,私なりに大分と見えてきたように思います.それをまとめてみると,次のようになります.

1.コンピュータ・サイエンスは,様々な学問に対し思考的の道具(単なるソフトではなく,考え方の手段としての道具)を提供できる可能性を持っている学問分野である.(根上さんのいう「手続き的な認識」のための論法なり,分析手法などです.)

2.その意味でコンピュータ・サイエンスは,本質的に社会の要請などとは無関係ではいられない面を持っている.しかし,高度な「思考的の道具」を提供するには,対象となる問題の本質的な理解が必要であり,それには,その対象を「数学する」姿勢が不可欠である.つまり,コンピュータ・サイエンスでも道具をあみ出す部分は,(正しい意味での)数学に他ならない.

3.「コンピュータ・サイエンスが様々な学問に思考の道具を提供できる」のは,コンピュータがいろいろな分野で使われているからではない.それは,コンピュータ・サイエンスが対象としている「計算」が,万能で本質的なもの,つまり,人間が本来持っていた操作的な考え方を形式化したものであるからである.

いかがでしょうか?もちろん,言い足りない部分も多いのですが,それを補足していると,また1年たってしまうでしょう.ですので,これをもって私のまとめにしたいと思います.

============= 以上,まとめ,おわり ==============
[0408]渡辺 治 2000-01-25 (Tue) 00:41:18

さて,一般教養としての計算機科学ですが,私は(この鼎談の影響もあって),次のようなことを目標に教えています.

1.「計算」というのは単なる数値の計算ではなく,もっと万能な概念であることを知ってもらう.

2.その万能な「計算」は,実は,至極単純なルール(命令)の組み合わせで十分できることを体験してもらう.また,(単純な)ルールの組み合わせなので,おのずと限界があることを知ってもらう.(計算可能性の限界,精度の限界)

3.ただし,現実にやりたいこと(例えばテレビゲームの実現)を単純な命令の組み合わせの話に持っていくには,モデル化,形式化が必要であり,よいモデル化は問題を簡単にすることを体験してもらう.そのことから,形式的記述の重要性や,いかに自分たちが厳密に議論していないか,を知ってもらう.

4.また,命令の組み合わせのやり方(アルゴリズム)によっては,天と地の違いがあることを体験してもらう.そのアルゴリズムの工夫には,数学的な思考が必要であることも経験してもらう.

です.ちょっと,内容項目的になってしまいましたが,こんなところです.
[0409]根上 生也 2000-01-25 (Tue) 08:36:33

なるほど.

「万能」という言葉を削除すれば,渡辺さんのまとめと授業の目標に同意できます.
[0410]渡辺 治 2000-01-25 (Tue) 09:08:58

そうですね.汎用と言った方が正しいかな.

でも,万能という気持(思い入れ)もあります.
[0411]根上 生也 2000-01-26 (Wed) 10:08:08

渡辺さんの思い入れはわかりますよ.

実際,この鼎談には,「計算」を万能とする渡辺さんと,万能としない私との対立があったと思います.

この対立の中で,松井さんの立場をどう捉えたらいいでしょうかね.
[0412]松井 知己 2000-01-30 (Sun) 14:28:27

うーん,私個人は,万能というヴィジョンに憧れます.
でも,私の興味の対象である,
人間が介在している「システム」や「状況」では,
扱う対象が複雑過ぎて計算機は万能から程遠く,
人間は計算機に比べて,なんというか,
柔らかすぎる,あるいは「やわ過ぎる」のですね.

何を言っているのか,自分でも良く分からなくなっています.



[0413]根上 生也 2000-02-02 (Wed) 05:03:46
よしよし.(赤ちゃんをあやす感じで)

とにかく,終結に向けて議論をしたいので,ちょっと前に教養科目としての「計算機科学」という話題に戻します.

この鼎談を通して,計算機科学の基礎的な部分に対する期待やイメージを語ってきたわけですが,渡辺さんが当初示してくれたカリキュラで,そういうことが伝えられるのでしょうか?(反語ではなく,単なる質問です.)


計算が万能か万能でないかは,立場や思い込みの違いによって生じるので,ここでは,「計算は万能だ」というビジョンの下で教育を考えることにしましょう.となると,次のポイントが「計算機科学」という授業で達成されるべきだと思います.

1.計算が万能だとはどういう意味なのかを知る.
2.万能な計算が見せてくれる世界とはどのようなものなのかを知る.
[0414]渡辺 治 2000-02-04 (Fri) 11:50:36

***京都から帰ってきました.***

まさにその通りですね.私が,カリキュラムの説明のところで,示した項目1,項目3は,まさにそのための項目です.

言葉足らずで伝わらなかったでしょうか?

[0415]渡辺 治 2000-02-05 (Sat) 06:51:25

もちろん,我々の授業は,やっとログインができるようになった,まだプログラムも習ったことのない1年生が対象で,しかも1学期だけの授業ですから,当然,教えられることには,かなり制限はあります.

でも,計算が万能というのは,どういう意味か,は教えたいと思っています.

一方,「万能な計算が見せてくれる世界」の方は,ちょっと自信がありません.そもそも,どんなことを想定しているのですか?
[0416]根上 生也 2000-02-07 (Mon) 08:53:10

もちろん,「万能な計算が見せてくれる世界」については,お話以上のことが語れないと思います.

でも,アルゴリズムとかプログラミングということだけを示すだけだと,「計算」によってできることは「計算」だという印象を与えていまうのではないでしょうか?

以前,私がコンピュータ・ゲームを作ったとき経験談を話しましたが,それと同じことです.

コンピュータの仕組みをすでに知っている人にとっては,すべてがビット列とその推移に対応していることを概念的には理解しているでしょう.でも,ビット列の推移と「何でもできる」(万能)には感覚的な差があります.

窓から眺めることができる景色と,0と1が並んでいて,それが変化している様を比較して,渡辺さんは同じに見えるのでしょうか?

計算が万能ならば,窓の景色の移り変わりも,仮想的ではあるけれど,計算によって実現できるわけですよね.もし「万能」を強調したければ,それを理解させる必要があります.

そういうことへの言及がなければ,授業を受けた学生の頭の中には,ビット列とかフローチャート(これは教えないと言うだろうけど)とか,アルファベットとか,集合論の記号とかが飛び交うイメージしか残らないでしょう.そういう体感だけしか味合わないで状態で,計算の万能性をどう示すのでしょうか?
[0417]渡辺 治 2000-02-07 (Mon) 10:18:35

仰せの通りです.実は,根上さんの影響もあって,今年は,テレビゲームのようなものをどうやってコンピュータ上に載せるのか,という話題をやってみました.

たとえば,スキャナーで,二次元の迷路の図をコンピュータに読み取らせて,それを解く,といった問題を考えたとき,どういう風にすれば,数式や記号の世界に落とせるのか,といった点について講義しました.

もう一つは,いっぱいの点をランダムに画面に出して,それらをむすんで三角形を作り,それを的にして光線銃を撃つゲームを考えました.これには,二つおもしろい問題があります.まず,どうやって三角形に分割するか?次に,三角形(を表す3頂点)と光線銃が当たった点をもらったとき,どうやって,その点が三角形内に入っているかを判定する問題です.

後者の問題は,人間にとっては明らかなことですよね.それを機械的にどうやって処理するか,ということを考えさせてみました.(期末試験に出す予定です.難しいかなぁ?)

一方,前者の方は,たとえば「なるべく丸っこい三角形で分割したい」といった希望をどうやって正確に表すか,という問題を提起してくれます.

まあ,この程度のことはやってみてはいるのですが...
[0418]根上 生也 2000-02-08 (Tue) 07:40:15

なかなか,いいんんじゃないですか.
[0419]松井 知己 2000-02-15 (Tue) 16:50:53

うーん、渡辺さんの課題って、
 人間が手と目でやればすぐできる(ように思われる)事を
 計算機で実現しようとしてませんか?
それって、「人間に比べて計算機は、融通が効かないなあ」っていう
  印象を与えるような気がするんですが。
[0420]根上 生也 2000-02-16 (Wed) 09:01:31

なるほど,そうですね.

「計算は万能」という命題が論理的に否定されているわけではないけれど,それとは正反対の印象を与えているかもしれませんね.

人間の直観力の方が万能だという感じがしますが,それを,まどろっこしいかもしれないけど,計算でも実現できるんだ.万能なるものの代替物になるから,計算もある意味では万能なんだということでしょうか.

そう思うと,人間が見ている世界,もしくは参加している世界と対等な世界を,別の原理を使って構成してみせる.つまり,「計算」は仮想現実を司る原理ということでは.

計算機科学から生まれる基礎科学は「究極の仮想空間」を探求する科学だという私の言葉が思い出されます.

@.@- なかなか話が終結の方向に向かわないね.
[0421]根上 生也 2000-03-04 (Sat) 08:19:16

でも,「究極の仮想空間」を対象とする基礎科学まで飛んでしまう必要はないのでは,という2人の意見にしたがうという約束だったので,この話はここでは止めておきます.いずれどこかで独自に論じますのでお楽しみに.

というわけで,この鼎談は,これにて終了.ちゃんちゃん.


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