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Web鼎談 11月号

[0149]根上 生也 1999-07-16 (Fri) 05:58:23
そういうことです.(悪口の続き)

渡辺さんが言っていることは,現状の計算機科学の動向を表現しているのだろうけれど,私には,渡辺さんの最初の「予言」を自ら成就させないように話をもっていっているように聞こえてしまうわけですよ.予言を成就させるために,やらせをするよりはいいですけどね.

というわけで,「計算機科学では構造を前提としない」は認めてあげるとして,そういう研究分野が基礎科学に昇格(基礎科学の方が偉いという偏見に満ちた発言)するためには,どうなっていけばよいかを考えるべきでしょう.
[0150]根上 生也 1999-07-16 (Fri) 06:31:04

当初,「コンピュータ・サイエンス」という言葉が一人歩きをしていて,単なるソフトウェアの使い方の研究のように思われて困るという発言があったと思います.でも,私たちの議論は,渡辺さんが関係している理論計算機科学(でいいのでしょうか?)に終始していたように思います.つまり,私たちがそういう意図ではないとしても,本当のコンピュータ・サイエンスとは理論計算機科学なんだと私たちが決め付けているように取られても仕方がないような議論をしてきたのではないでしょうか?

「コンピュータ・サイエンス」という言葉は,無定義でもそれなりの雰囲気や意味を感じさせてくれる言葉ですよね.その感じは「計算」とか「構造の稀薄さ」のような議論だけで特徴づけられないように思うのですが.計算機科学と書いてしまうと,機械の「機」の字が目に付いて,計算とかアルゴリズムとかばかりが想起されますが,「コンピュータ」というと,もっと広い世界が感じられます.

あえて矮小化して言えば,今時,「コンピュータ」と聞いて,プログラムして計算する機械だという思う人なんかいないでしょう.また,パソコンを目にしたとき,これは電気仕掛けなんだから,物理学のおかげで,こういう存在があるんだ,こんなリアルはCGができるのも,きちんと計算して描画しているのだろうから,これは数学のおかげだと,思ってくれる人が多いでしょう.本当のところはわからないにしても,こういうふうに,物理学も数学も,基礎科学として認知されているわけですが,パソコンのどこに計算機科学が隠れているのでしょうか?その隠れ方を考えると,基礎科学としての位置が見えてくると思うのですが.
[0151]松井 知己 1999-07-16 (Fri) 11:30:22

また明日の午後書きますので,ちょっと待ってね.
松井は,日曜から水曜まで,韓国に出張です.
[0152]渡辺 治 1999-07-16 (Fri) 13:16:15

渡辺です.今日,チェコから帰ってきました.でも,また明日から出張です.本格的な復帰は,来週までまってください.

ううん.いない間にずいぶんと言われましたね.でも,私が舌足らずで言いきれなかったところ,私がまだふれていないところを,いろいろと指摘して下さってように思います.また,松井さんには,その不足分を補って頂いてありがとうございました.

まずは,「違うんだ」ということを認識してもらいたかった,あるいは,確認したかったのです.その次に「では,本当に基礎科学と言えるの?」の議論になると思っていたのでした.次週は,この点についてふれたいと思います.
[0153]松井 知己 1999-07-18 (Sun) 01:00:24

おお,やっと帰ってらっしゃった!
そうですね,では,だんだんと基礎科学の話に移行しましょう.
ええと,学習理論の話はここで終えていいのでしょうか?


[0154]根上 生也 1999-07-19 (Mon) 11:22:32

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[0155]根上 生也 1999-07-21 (Wed) 09:06:33
みんな忙しそうだから,私がもう少し独走してしまいます.

パソコンを見ていて思うことは,ディスプレイ上に現れている世界って,他にないな,とうことです.たとえば,私のパソコンだと,ディスプレイの壁紙は,等身大のヨーダの写真だし,アイコンがいっぱい並んでいるし,必要に応じてウィンドウが開くし,この鼎談の書き込みのできるし...

こういう世界は自然界を見回したところで見たりません.数学が扱う抽象的な世界ほど抽象的ではなくて,物理学が扱う具象の世界ほど具体的ではない,
人間が作り上げた世界ですよね.

所詮,あるソフトウェア会社の独裁者が考え出したものだからと,ソフトウェアの使い方の話をするのなんてコンピュータ・サイエンスじゃないとか言って
目の前の世界から目を背けてしまうと,大事なものを見失ってしまうような気がします.

目の前に展開されている人工的な世界.それを思うと,以前渡辺さんがさんざん言っていた「人工物」という言葉が活きてくるのではないですか.
[0156]渡辺 治 1999-07-22 (Thu) 10:43:00

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[0157]渡辺 治 1999-07-23 (Fri) 10:09:09

さて,前回 [0152] で「基礎科学って言えるの?」という問いに対してコメントするといいました.でも正直言って,明確な答えを用意していません.預言者としては,大変,力不足です.

ただ,少し言えることがあります.

松井さんの発言に,「(コンピュータ・サイエンスは)構造を前提としていないから,自由に形を変えられる」というのがありました.もう少し正確に言うと,コンピュータ・サイエンスでは,「どんな変な世界でも,ルールさえきっちり作れば,それは対象として受け入れられる」のです.今までにコンピュータ・サイエンスで培われてきたものは,そうしたルール作りや,できたルールに従う世界を探求する手法なのです.この手法(パラダイム)が基礎科学へ昇格(?)する鍵だと思うのです.

そんなのは,数学でもやってきたと思われる方も多いでしょう.たとえば,非ユークリッド幾何などがその例です.まったく新しい公理(ルール)を設定して,その上での数学を構築しているのですから.

でも,コンピュータの世界では,さらにそれが極端になっているのです.大げさにいえば,一つ一つのプログラムが公理系になっているような世界です.たとえば,ゲームソフトのプログラムの一つ一つが,ある種の世界を作っていると言えばわかりやすいでしょうか?とても実現できない世界だったり,あるいは矛盾さえ含んでいる世界かもしれません.でも,一旦,そのソフトを走らせたら,コンピュータはその世界を仮想的に実現しているのです.
[0158]根上 生也 1999-07-26 (Mon) 09:57:00
なるほど.

渡辺さんの言っていることは,そのとおりなのだろうけれど,発想がボトムアップ的ではないでしょうか.現在動いている計算機科学がこうなっているから,こういうことが基礎科学へ昇格する鍵だと.この後に,どうして,人為的にルールを決めることがよいのかという理由が語られるのでしょうか?それならば,待っています.

そもそも,そのルールだってなんでもいいわけではないですよね.例えば,「計算機科学者のいうことは信じない」というルールの下で,何が議論できるか考察するなんてことを,誰も支持しないわけだし.

(もっと素朴なルールで無意味そうなものにすると,私が思い付かない発想で,そういうのも無意味ではないという議論になるといけないので,こんな変なルールを出したまでです.決して渡辺さんをいじめているわけのではないですよ.)

一方,私は,コンピュータという人工的な世界を提示する機械を前にして,何が見えてくるかを考えようと言っているわけです.その結果,人工的な世界を創造するには,人為的なルールを決めることが重要なので,という結論になれば,渡辺さんの言っていることにつながっってきます.

その後は,どういうルールがいいルールで,そのルールをどうやって表現するかとか,どうやって機械的に実現するかといった議論になっていけばよいのですが.

いずれにせよ,みなさんが出張でいない間に独走するという私の陰謀が打ち砕かれたので,2人の言葉に耳を傾けることにしましょう.特に,松井さんよろしく.私と渡辺さんには対立構造を作って議論をするという機能がありますが,それで猛進すると,破壊的な戦いになりかねない.それを牽制するのが,松井さん(たしか,一般市民の代表だったっけ)の役目ですよ.ちなみに,私は神の役目だったような気がするけど,渡辺さんに預言を授けた神ではありません.
[0159]渡辺 治 1999-07-26 (Mon) 11:07:58

メイル的になってしまいますが,その方が便利なので,そうします.

>そもそも,そのルールだってなんでもいいわけではないですよね.

はい,そうです.唯一の制約は,記号で書き表すことができる(つまり,
コンピュータにのる)ということだと思います.

>例えば,「計算機科学者のいうことは信じない」というルールの下で,
>何が議論できるか考察するなんてことを,誰も支持しないわけだし.

いえ,もし,それを記号として形式的に記述できるのでしたら,それでもいいのです.実際,それに似たようなルールを設定した上での議論もあります.

ただ,もちろん,矛盾だらけのルールに基づく世界では,まともな展開を期待はできません.(まともでないのがおもしろい場合もありますが,残念ながら大抵の場合はおもしろくありません.)

[0160]根上 生也 1999-07-27 (Tue) 10:35:17
(またー.無理しちゃって.)

そもそも「記号で形式的に記述できればよい」というルールを誰が決めたのですか?「現在展開されている計算機科学の研究では,そういう研究が多い」という現象がそのルールの妥当性の根拠だとすると,ちょっと悲しいです.

記号で書けるルールのよさとか必要性とかを表現してほしいです.それと,そもそも「記号で形式的に書ける」とはどうことなのかも知りたいですね.だっけ,文字だって記号なわけだし,言葉だって,一つの形式として見ようとする人だっていますよ.

また,「コンピュータにのる」=「記号で書ける」とい構図があるようですが,普通の人にとって,この「=」は当たり前のことには見えないと思います.
[0161]松井 知己 1999-07-29 (Thu) 15:14:41
コメント遅れてすいません.
「ゲームソフトのプログラムの一つ一つが,
ある種の世界を作っていると言えばわかりやすいでしょうか?」
これ,例えとして非常に分かりやすいです.

[0162]松井 知己 1999-07-29 (Thu) 15:24:31

「記号で書き表すことができる」と
「文字だって記号なわけだし」の掛け合いは不毛な予感がします.

「そもそも「記号で形式的に記述できればよい」
というルールを誰が決めたのですか?」は議論しなくていいですね.

「矛盾だらけのルールに基づく世界では,
まともな展開を期待はできません.」の
「まともな展開」の期待できるルールの話をもう少し知りたいです.
そしたら「コンピュータという人工的な世界を提示する機械を前にして,
何が見えてくるか」見えてくるかもしれません.

それとも,議論の糸口として,
「コンピュータにのる」=「記号で書ける」の話から切りこみますか?
[0163]根上 生也 1999-07-30 (Fri) 06:39:56
そうしましょう.

ゲームのたとえでいくならば,ただゲームで遊んでいるだけの人はそのゲームが記号の連鎖として表現されている,もしくは実現されているとは思わないでしょう.「コンピュータにおる」=「記号で書ける」という自体には,私も同意しますが,普通の人間の感覚では,左辺と右辺の間には,かなり距離があると思います.その距離を埋めるような話をまずすべきです.

[0164]渡辺 治 1999-08-02 (Mon) 10:46:06
ううん.どのようなことを説明したらいいのでしょう?

コンピュータは,プログラムというものに従って動いていて,そのプログラムは,単純な命令(規則)の組み合わせを並べているものであって,...という説明は,大抵の人が知っているのではないでしょうか?

それとも,こういうことから始めますか?(数セミの読者を馬鹿にしているような気がするのですが.)
[0165]根上 生也 1999-08-03 (Tue) 08:30:29
よわったなあ.

いつものごとく,意図がわかってもらえないみたいなので,ちょっと昔話をします.

その昔,私がまだ東工大で助手をしていた頃のことですが,私は,3年間の歳月をゲーム作りの研究に費やしていたことがあります.(他の仕事だってしていましたよ.これはあくまで私の趣味です.)ゲームの高速化を図るために,BASICからCへ,さらにはアセンブラへと勉強を進めました.

こういう段階の話でとどめておけば,「プログラミングすること」=「記号で書けること」を誰もが当然のことと受け止めてくれるでしょう.でも,そういう機械的なことだけではゲームは作れません.

私が開発していたのは,いわゆるRPGのようなもので,迷宮の中をモンスターをやっつけながらキャラクタが進んでいくわけです.というわけだから,モンスターの一挙一動をプログラミングしなければならない.昔のプログラミングスタイルは,そこに登場するものすべての動きをコマ撮りするような間隔で分解して,それを1つの大きなループの中に納めて回していくわけです.

モンスターの動きを個別にプログラミングできて,それをメインのプログラムにほうり込むだけでよい,といったスタイルのプログラミングができれば,どれほどに便利なものかと思いました.今,思えば,オブジェクト指向プログラミングのようなものを,自前で用意していたような気がします.

そういう細かいことはさておき,私も自慢しーだから,ゲームが出来上がると,誰かに見せにいくわけです.で,私はその昔,北棟と呼ばれる建物の6階あたりに出没して,松井さんの仲間(分野的に)のような人たちに,それを見せたわけです.

そのときに,もらった言葉は,「こういうゲームって,いったいどうやってプログラミングするのですか?」というものです.

ゲームのプログラミングをしたことのない人が,その仕方を知らないのは当然ですが,彼らは自分たちが普段やっているプログラミングとは全然別物に見えたのです.

彼らは数理計画の専門家たちので,アルゴリズムを理論的に研究するだけでなく,自分たちの研究をプログラムして,コンピュータ上で実装するということもよくやっています.だから,プログラミングの素人なんかではない.でも,彼らが普段やっているプログラミングの延長上に私のプログラミングがあるようには思えなかった.私が彼らに見せたプログラムは,記号の列としてのプログラムとは思えなかったのです.

もちろん,私のプログラムといえども,ソースは記号の列です.モンスターやキャラクタや背景の絵などを表すビットパターンもある意味では記号です.(松井さんに「不毛」といわれた「文字だって記号だ」の話にもちょっと関係します)彼らだって,概念的には,どんなプログラミングだって,記号の列だということは知っているけれど,感覚的にはそう思えない.(そういう彼らって馬鹿にされるべき存在なのでしょうか? 私はそうは思いませんが.)

要するに,私の言っていることは,リンデレーフの周期表(原子の表)を見て,この地球で起こっていることがすべて理解できるのかどうか,クォークの表(これは何と呼ぶのでしょうか)を見るだけで,宇宙の森羅万象が理解できるのか,という発想,もしくは疑問と同じです.

仮に現在知られている物理の理論がすべて正しいとすると,素粒子や基本的な力の存在だけを解明すれば,宇宙の森羅万象はすべて説明できる(不確定性原理が働いて,すべてを正確に言いきることはできないという議論はおいておくとして)という感覚は,それなりの普及率があると思います.そして,その普及率と「物理学は基礎科学である」ということの認知度は比例関係にあるでしょう.

数学の場合も,... これは今度にします.

この比例関係を期待するならば,パソコンのディスプレーで展開している人工的な世界とある意味で記号的に動いている機械語レベルの世界とをつなぐ価値観やそれを包括する世界観を誰かが雄弁に語らないと,計算機科学が基礎科学に昇格する日は遠いと思います.

いずれにせよ,松井さんが言っているように「まともな展開」が期待されるルールのことを話してみてください.これは私の投げかけにもつながります.つまり,コンピュータというメディアを通して人間が表現できる,もしくは表現したい世界や現象につながるかどうか,これが「まともさ」の1つの指針になると思うからです.


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