うーむ. 構造の有無(うむ)について,もう一言,二言いわせてください. 私は,数学が構造があるものを扱っていて,コンピュータ・サイエンスが構造のないもの(または,あまりないもの)を扱っているという考え方には賛成しがたいです. そういう差があるような気がするのは,単なる歴史的な問題だと,私は思いますよ. 数学の歴史は古いので,学問として成熟している分野が多いので,対象の構造がすでに明らかになっているものが多い.その結果として,教科書や授業などでは,構造が先に登場するようなストーリー展開になっていく.でも,数学者が先端的な仕事をするということは,やはり見えていない構造を見えるようにするということです.私は基本的には幾何学者なので,自分の中にある幾何学的な直観を,形式的な言葉で表現したり,論証の形で,直観の正当性を示したりするわけです.それと,解析的な研究している人の姿を見ると,どうやって式を計算していったらよいのかを必死に模索している感じです.つまり,構造が見えていない段階というのがあって,闇雲に計算するわけです.その結果として,後から構造が見えてくるのですよ. 一方,コンピュータ・サイエンスは歴史が浅いので,あまりあらかじめ人に示せる構造が乏しい.でも,チューリング・マシンとかオートマトンとかいう構造だってありますよね ここからは私の憶測ですが,コンピュータ・サイエンスにおける構造の欠如を口にするのは,渡辺さんがコンピュータ・サイエンスの先端で活躍する研究者だからなのではないですか?つまり,見えてない構造を求めるというスタイルでコンピュータ・サイエンスの研究をしているということです.一方,数学に関しては,先端的な動いている研究を目にすることがないから,教科書になるようなできあがったものだけを数学と思って議論してします.その結果として,数学には構造があると言いたくなっているのではないですか. どんな分野でも,ある意味で研究が一段落するということは,それなりの構造に到達したということですよね. 歴史的な浅さのために広く浸透している構造がないとか,研究者なので構造の見えないものを対象にしているとか,そういうことで,構造の欠如を指摘しているのだとすると,ナンセンスです.(再び,そうでないことを祈る.) そもそも構造がない状態なんてありえないです.従来の基礎科学では扱えない,もしくは扱ってこなたっか構造を扱うという切り口で,これかた登場するであろうところの基礎科学を特定していくべきではないのでしょうか? もしそうでないとすると,渡辺さんと松井さんがうなずき合っている「構造」って何なのですか? |