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Web 鼎談 7月号

[0052]渡辺 治 1999-04-08 (Thu) 00:31:50
確かにその通り!と胸を張って言いたいところです.でも,悲しいかな,「計算」の研究はそこまで言っていません.物の真の価値を示せるほど,それに十分な評価基準を得るには至っていません.
[0053]渡辺 治 1999-04-08 (Thu) 00:34:38
たとえば,二つの整数の掛け算という単純な「計算」を考えてみましょう.どんな優秀なコンピュータでも,1回の演算でできる掛け算は,有限の桁数の掛け算です.(大抵の場合,10 桁程度でしょうか.)

でも,こうした有限桁の掛け算を組み合わせれば,任意の n 桁の掛け算もできます.(この点も重要!有限の手段の組み合わせで,任意の大きさの問題が解けるのです.)

ただ,計算は,当然,かける数の桁数 n に応じて難しくなるはずです.どのくらい難しくなるでしょうか?筆算を考えてみて下さい.あれは,単純な足し算と掛け算(つまり,一桁の数の乗加算)で任意の n 桁の積を計算する方法です.この筆算で計算しようとすると,n**2(n の二乗)に比例した回数の演算が必要になります.

そうすると,何となく「n 桁の掛け算には n**2 の基本演算が必要」といった気になります.「そんなの当然!」とも思うかもしれません.

ところが,どっこい!実は,n 桁の掛け算をするのに n(log n)(loglog n) 程度の基本演算ですむ方法があるのです.(Schnorr の高速フーリエ変換法といいます.)

このように,掛け算といった単純な「計算」でさえも,我々の予想を覆すような方法があるのです.ですから,たとえば,誰しも「掛け算には n(log n) 回の基本演算は必要」と思っていますが,やはり証明をするまでは,それが本当の限界とはいえないのです.

そしてはなはだ残念なことに,どうしても 10n 回以上の演算が必要だ,ということさえ証明できていないのが現状です.そして,これは,我々が日常直面しているすべての問題に対してもいえることなのです.

だから,コンピュータ・サイエンスが「計算」の真の価値を示してくれるか,というと,残念ながら,現在のところはそこまで至っていないのです.
[0054]渡辺 治 1999-04-08 (Thu) 00:40:58
でも,どうしてそんな単純なことの証明が難しいのでしょうか?

私は,「計算」が対象としているのが,人工物だからではないか,などと思っています.それに対して,従来の物理,そしてその基礎となる数学は,自然物を扱ってきたのではないでしょうか?

もちろん,数学にも「計算」という人工物を扱う要素もあります.でも,それは,数学ではなく「算術」という一段低いレベルのものとみなされてきたような気がします.どうでしょう?
[0055]松井 知己 1999-04-11 (Sun) 03:21:22
「人工物」のところ,もう少し詳しく知りたいです.
人工物だと自然物より難しくなると根上さんが思われるのは,
何故なのかもう少し知りたいです.
あるいは,何か例を挙げて教えていただけませんか.
[0056]根上 生也 1999-04-11 (Sun) 10:05:05
おいおい,松井さん.
人工物と自然物の話をしているのは,私じゃなくて,渡辺さんだよ.

でも,「計算」を人工物と捉える考え方は,私にもわからないでありません.

例えば,数の演算という概念は人間とは独立に存在しています.この存在を「自然物」と捉えるならば,10進法で掛け算をするというのは,人間の都合で生まれた「人工物」でしょう.

そういう意味ではないのですか,渡辺さん?
[0057]根上 生也 1999-04-12 (Mon) 11:39:30
でも,数学的存在を「自然物」という言葉で形容するのは,ちょっと私の気持ちには反します.

数学的な存在は,「自然」を超えた存在ですからね.
[0058]渡辺 治 1999-04-13 (Tue) 00:46:22
計算が人工物だ,ということについては,根上さんの言われたようなことを考えていました.

一方,数学的存在が自然物なのではなく,数学の対象が自然物だった(である)と言いたかったのです.

*これから授業なので,またあとで.新学期は忙しいですね.
[0059]根上 生也 1999-04-13 (Tue) 10:37:57

「だった」と「である」を併記しているところを見ると,渡辺さんも,数学の対象を自然物に限定するのは,まずいかもしれないと思っているようですね.

それならば,よしよし.

いずれにせよ,「計算」を人が作ったものだという捉え方は,私も重要だと思います.

松井さんが納得する具体的な話をしてあげましょう.
[0060]渡辺 治 1999-04-14 (Wed) 02:21:07

「だった」というのは,歴史を意識していたからです.数学の発祥は,やはり幾何学からではないでしょうか.これは,目に見える図形の研究から始まったわけで,自然を対象とした研究からスタートした,と考えてよいでしょう.

自然は,結構素直です.(本当は「素直でした」というべきかな.現在の科学が対象としている自然は,「素直でない」のも多いですからね.)

素直だから,直観(直感?)が働きます.たとえば,初等幾何を考えてみましょう.「二等辺三角形の底辺を見る頂点から,底辺の中点へ引いた直線は底辺に垂直に交わる」という事実は,図形をいくつか描いてみればわかりますよね.直観できます.

それに対し,人工物は「何でもあり」の世界です.だから,t(1)=1, t(2)=2, t(3)=3 ときても,t(4) は何になるかわかりません.そこに難しさがあると思うのです.(もちろん,これは,非常に大雑把な話ですが.)
[0061]松井 知己 1999-04-14 (Wed) 03:49:54

ううん,何となく分かった気もしますが…
あまりこだわると,話がそれそうですから,
人工物の話はこれくらいにしmしょうか.
[0062]根上 生也 1999-04-14 (Wed) 08:55:35
こだわりついでに,もうちょっと言わせてもらって,話を発展させますね.

渡辺さんの揚足を取るようで申し訳ないけれど,「何でもあり」の世界は,数学の方です.数学的原理を無視しないかぎり,何をしても許されます.

一方,「計算」の方は,「何でもあり」なのではなくて,「これしかないけど...」という感じですよ.これしかないけど,どこまでできるかを考えるのではないですか?
[0063]根上 生也 1999-04-14 (Wed) 09:07:16
たとえば,日本にはちゃんと法律があるのに,法律なんか守らないで,「何でもあり」の連中が,むちゃくちゃな事件を起こす.その事件をテレビで報道する.

これを「何でもあり」の数学的な世界とそれを表現した「数学」という学問だと思ってください.

(あえていうなら,「法律」が自然界を支配している「物理法則」です.数学の世界には,物理法則なんか,おかまいなしのものがたくさんあります.)

すると,「テレビ」という「人工物」の存在が気になってくる.私の家では新聞をとっていないので,世の中で起こっていることを知る手段は「これしかないけど...」,テレビって,どこまで真実を使えているのだろうか?そういう疑問がわいてくる.

つまり,ここでいう「テレビ」というメディアが,コンピュータ・サイエンスの「計算」に相当するわけです.

「何でもあり」の無法地帯では,何が起こるかわからない.1,2,3の次は4でないかもしれない.そのすべてを考慮して,「テレビ」=「計算」がどこまでのものを見せてくれるのか,もしくは,見せてくれないのか?

こうい疑問に答えるのが,渡辺さんがいうところのコンピュータ・サイエンなのではないですか.
[0064]渡辺 治 1999-04-19 (Mon) 04:46:41

つまり,有限の手段の組み合わせだけで,世界がどれくらい表せるか?ということテーマですね.確かに,それもコンピュータ・サイエンスの一つです.
[0065]渡辺 治 1999-04-19 (Mon) 05:05:49

この話も重要なのですが,話しが発散してしまうので,前の話に区切りをつけさせてください.(後で [0063]と[0064]の話に戻りましょう.)

計算は,人工物が対象なので難しい.その理由は,「何でもあり」なので直観が働かない.といった言い方をしたのが悪かったかもしれません.

確かに,数学でも根本的には,「何でもあり」です.でも,本当に「何でもあり」の土俵の上で議論している分野があるでしょうか?陽,陰を問わず,数学,各分野には土俵というものがあって,その上で,何らかの構造を見出して議論しいるように思います.

計算の場合,その構造が見えにくいのです.

たとえば,以前,ファジー理論の応用研究で有名になった先生とお話したことがあります.「なぜ,ファジーという概念が重要なのですか?」という私の問いに対し,「従来の式で書けないものが,式として書けるようになった」と言われました.たとえば,うんと暑い場合には,この式に従って温度を調節し,中くらいの場合には,別の式,もっと寒いときには,別の式,といったように,一つの式で書き表せないことも,ファジーの枠組みならば,まずは表現できる,というわけです.でも,これなどは,我々,コンピュータ・サイエンティストからすれば,しごく当たり前のことです.条件文を使ってつなぎ合わせれば,一つの式(プログラム)になるのですから.

でも,そのように,何でもかんでも「式」にしてしまったので,今度は,その構造が見えないという問題がでてきたのです.

こういったことを言いたかったのです.
[0066]根上 生也 1999-04-19 (Mon) 05:40:19
「何でもあり」というよりも、何も構造がないから、「何が起こるかわからない」ということとですね。

それなら、コンピュータ・サイエンスって、場当たり的に事に臨むしかないのですか?
(そうでないことを祈る...)

見ようによっては、素数判定のMiller-Rabin test とやらも、場当たり的な解法と言えなくもないなぁ。(悪口ばかりでごめんね)
[0067]渡辺 治 1999-04-20 (Tue) 03:00:16

いえいえ,そこなんです!!

もちろん,部分部分では,「構造らしきもの」が見えています.実際,私がずっとやってきたのも「構造的計算量理論」と総称されるもので,何とか難しさの構造を見ようと努力してきました.そうした結果,確かに構造らしきものが見えることもあります.でも,しばらくたつと,それも表層的ではないか,本質をまだまだとらえていないのではないか,と思うようになってしまうのです.さらには,もしかしたら,いわゆる数学者の好む構造がないのかもしれません.(「そうでないことを祈る」根上さんには申し訳ないのですが...)

[0068]渡辺 治 1999-04-20 (Tue) 03:08:48
そうした構造が見えない(あるいはない)ものを対象とする科学が,基礎科学になりえるのでしょうか?私は「なりえる」と思うのです.というのも非常に
多くの分野の基礎となり,人間の考え方へ大きく影響するからです.
[0069]渡辺 治 1999-04-20 (Tue) 03:18:03

大分,アルゴリズムの話が続きましたね.ここらで,コンピュータ・サイエンスが関わってきたもう一つの重要なテーマである,計算(広くは情報)の表現の話に移りませんか?

これは,先ほど保留にした [0063]と[0064] の話にも関連します.

一つの例として,すべての法律を厳密に正確に,しかもわかりやすく書くにはどうしたらよいか?という問いを考えてみましょう.

これはとても難しいことです.現在の法律は不完全で曖昧です.だから裁判でその意味解釈を決めながら運用しているわけです.これをすべて厳密に書こうとするのは至難の技です.

少々大げさですが,ソフトウェアやシステムの記述には,こういったことが求められているのです.それにどう対処していくかもコンピュータ・サイエンスの重要なテーマだと思います.
[0070]松井 知己 1999-04-23 (Fri) 05:15:27
(話が移ってしまうまえに[0068]に一言)
なるほど!だいぶ話が見えた気がします。
「構造が見えない(見えにくい)」というのは、
  CSの対象とする問題の大きな特徴であり、
  それを扱うコンピュータ・サイエンスに
  (何らかの)特色を与えているということですね。


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