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鼎談 12月号

[0166]渡辺 治 1999-08-03 (Tue) 20:59:25
根上さんの話だと,説明を要求されているのは,「コンピュータにのる」=「記号で書ける」の部分(ちなみに=は必要十分の意味)ではないですね.

むしろ,この=は,当然のものとして,実際にコンピュータ上で表現されているものなどが,「どうやってコンピュータにのるようになっているのか?」,あるいは言い換えると「どうやって記号化されているのか?」が,直感的に見えない場合がある,ということですよね.
[0167]渡辺 治 1999-08-03 (Tue) 21:06:42

この話は重要です.というより,そのことを話すには,まずは (1)「コンピュータにのっているようなものは,すべて記号列(命令列)で書かれているはずですよね」と断っておいて,(2)「でも,実際,どうやって記号列にするのでしょう?」というが話の順序だと思っていました.だから (1) を説明せよ,と言われてとまどっったわけです.
[0168]渡辺 治 1999-08-03 (Tue) 21:24:45

ただ,「記号列で書ける」というのは,どういうことかをもう少し明確に,あるいは具体的にしておく必要があるかもしれません.

確かに,これは「機械語の命令列で書ける」ということなのですが,機械によっては,機械語も異なります.もしかしたら,スパコンの機械語では書けるが,一般の機械語では,*本質的に*書けない計算というのがあるのでは?という不安も出てくるでしょう.

実は,非常に単純な命令列で,*本質的に*すべての計算を書くことができるのです.これは,コンピュータサイエンスの重要な基本の一つです.

ただし,「本質的に」と断ってあるように,見た目(怪獣の絵を画面に出すなど)は,ここでは無視します.また,今で議論してきたような計算効率も無視します.たとえば,「怪獣が食べ物を探しながら森を探索する」ような動作と同じようなことを,見た目や効率はともかく,できるか?ということを考えましょう.

そうした計算は,たとえば,+1, -1, そして == 0? の条件分岐さえできれば,すべて可能です.

これは計算機の命令のようですが,こうした要素をもっていれば,どんなものでも計算を表すことができます.たとえば,囲碁の石の置き方,取り除き方のルールでもいいですし,ライフゲーム(ちょっと前の計算機では,アイドル時によく画面に出てきていました)等々.一時話題になった,ゲーデル・エッシャー・バッハにもそんなゲームが紹介されていましたよね.

物理の周期表ではないですが,とにかく,+1, -1, == 0? さえできれば,すべてができる,ので,記号列と言った場合,この命令の列と思ってもらってよいでしょう.
[0169]根上 生也 1999-08-04 (Wed) 12:24:13

「コンピュータにのる」=「記号でかける」は認めてあげるから,その証明を述べよ,もしくは説得力のある陳述をせよ,というのが私の要求です.それはおいおい誘導していくとして...

渡辺さんの言っている「+1」は2進数を1つ大きくする,「-1」は1つ小さくする,「==0?」はそれが 0 かどうかを判定するということですよね.(そうでないのなら,解説してください.)

そうだとすると,渡辺さんが言っている「すべて」というのは0と1だけが並んでいるだけの世界を指していることになりますね.そのビット・パターンを変化させるのが計算で,その計算の根源的な存在が+1,-1,==0?の3つだということですよね.

多少限定的であることは踏まえてはいるものの,そのビット・パターンだけが存在する世界を「すべて」と捉える感覚を吟味する必要があります.それを「すべて」と思い込むことが,計算機科学者の都合によるものなのか,(ちょっと大袈裟だけど)全人類が持つべき感覚なのか?

自然科学の場合,素粒子の組み合わせで,原子ができて,分子ができて,いろいろな物質ができて,生物ができて,惑星ができて,宇宙ができてという階層構造が一般的に定着しているので,究極的には,素粒子の研究が自然科学の根元的な研究だと誰もが思ってくれます.その結果として,それを担っている物理学が基礎科学だと認知されるわけです.

でも,素粒子の相互作用だけ見いても,実際の地球で何が起こるかなんかはわかりっこないとも思っているでしょう.原理的には,森羅万象のすべては素粒子の相互作用として表現できるのだけれど,関係する素粒子の個数が大きくなってくると,自明でないマクロな現象が現れてくる.原理的には物理学に帰着されるとは思っていても,階層の段階ごとに,独立した研究分野が存在していて,独自の研究手法を開発している.

こういう階層構造の存在が,物理学が基礎科学であることに説得性を持たせていると思うのですが.

計算機科学の上に展開されている世界にもそれと同じような構造があるのでしょうか? 単に,「0と1が並ぶ世界」という言い方をしてしまうと,構造の稀薄などこを見ても大差のない世界,数の大小はあるにしても,ミクロとマクロの区別にあまり意味のない世界のような印象を与えてしまいます.もしそうだとすると,「基礎」と「基礎」でないの区別もなくなって,「すべて」と言われている世界は,実は計算機科学の閉じた世界でしかないということになってしまいます.

あえて破壊神の役を演じているので,否定文がつづきますが,私は本当は否定文で語るのは好きではありません.でも,上の内容を肯定的に,かつ雄弁に語るのは私の役ではないとわきまえているのですが...
[0170]松井 知己 1999-08-05 (Thu) 05:22:13

根上さんの質問は,「計算機科学の上に展開されている世界は何処?」
なのですね.
それは例えば,「計算機科学の神様が治めている世界は何処?」
という質問ですよね.
神の摂理を明らかにするために研究していたニュートンの神様は,
(現代では)物質界を多分治めているのでしょう.
では計算機科学の世界は何処でしょう?
いままで出てきた答え方がいくつかありました.

まずは,
logicです, langageです, Turing machineです, algorithmです,
といった風に並べてカリキュラムを通して理解する方法ですね.
この鼎談の最初の方の会話の雰囲気が,これに近かったですね.
でも,このアプローチは「知っている者同士の頷きあいになってしまう」,
というのが根上さんの心配でした.

次は,最近の,テレビゲームみたいなもの,SF映画のCG見たいなもの,
ロボット犬みたいなもの,言葉を覚える人形みたいなもの,
という答え方もあるかと思います.
根上さんのゲームに関する昔話に近い,答えかたですよね.
短くするならば「virtual(人工的)に表せるもの全て」でしょう.
上記の答えは,具体的でインパクトがありますが,
曖昧で,はったりが入っていて,
同義反復でさえあるかもしれません.

あとは,(+1,-1,==0? といった)
簡単な命令(または記号)で書けるもの全て,
という渡辺さんの答え方がありますよね.
この答え方は,かなり正確であるかわり,
計算機科学の世界の俯瞰は与えてくれません.
根上は,計算機科学の世界を俯瞰する単語が欲しいのですよね,きっと.

「記号で書けるもの全て」という答えを,もうちょっと膨らました,
「最近のSF映画の凄いCGみたいなもの」に少し近づいた答え方は,
ないものでしょうか,渡辺さん.
[0171]根上 生也 1999-08-05 (Thu) 08:06:03
まとめてくれてありがとう.松井さん.
でも,ちょっとだけ補足しておきます.

「記号の世界」と対峙する「最近のSF映画のすごいCGみたいなもの」を単にVirtual(人工,仮想)なものと捉えるよりも,人間にとって有意味,または有意義なものと捉えた方がよいと思います.

もちろん,「記号」だって人間にとって,有意義だし,有意味だと言えなくもありませんが,0と1だけが並ぶ世界と,恐竜や宇宙船が飛び交う世界とでは有意味の度合いが桁外れですよね.
[0172]根上 生也 1999-08-05 (Thu) 08:22:44

それで,私が指摘している階層構造の存在が,その意味を生成していると思うのですが,どうでしょう.

階層構造の存在というのは,ミクロをそのまま相似に大きくしたものがマクロではないということです.ミクロがマクロに変わるときに,つまり,階層が1つ上になるたびに意味が追加されていくわけです.

たとえば,プログラミング・スタイルの変遷を見ると,機械語を直に書いていて時代,フローチャートをそのまま表現できるようなBASICやFORTRANの時代,構造化プログラミングの時代,そして,今日的なオブジェクト指向プログラミングの時代.この変遷は,本来記号の列でしかないプログラミングを有意味なものに変貌させていく過程ですよね.

でも,大事なことは,オブジェクト指向プログラミングの時代になったからといって,それ以前のものが必要なくなってしまたわけではないということです.オブジェクトの処理をする手続き(メソッド)は依然として構造化プログラミングだし,それをコンパイルした結果は依然としてフローチャートのおばけですよね.

こういう発想だと,「記号」という標語はちょっと貧弱な感じがします.
[0173]渡辺 治 1999-08-06 (Fri) 07:14:48

まずは,確認から

根上さん曰く
>渡辺さんの言っている「+1」は2進数を1つ大きくする,「-1」は1つ小さ
>くする,「==0?」はそれが 0 かどうかを判定するということですよね.

はい,そうです.

>そうだとすると,渡辺さんが言っている「すべて」というのは0と1だけが
>並んでいるだけの世界を指していることになりますね.そのビット・パター
>ンを変化させるのが計算で,...
>そのビット・パターンだけが存在する世界を「すべて」と捉える感覚を吟味
>する必要があります.

たしかにそうですね.ギャップが大きいことは認めます.ただ,感覚的にはギャップはあるかもしれまんが,コンピュータ上で動いているということは,それは,すべて 0 と 1 の列に直されて動いているのだ,という知識は,それこそ小学生も持っていると思います.また,それを疑う人も少ないと思います.

この点は,物理と大きく違う点です.(階層構造が必要なのは,同じかもしれませんが,それについては後で述べます.)

根上さんは,
>原理的には,森羅万象のすべては素粒子の相互作用として表現できるのだけ
>れど,関係する素粒子の個数が大きくなってくると,自明でないマクロな現
>象が現れてくる.原理的には物理学に帰着されるとは思っていても,...

と言われましたが,本当に皆がそう思っているでしょうか?私などは,もしかすると,素粒子の相互作用では表せない何かがあるかもしれないと思っています.本職の物理学者の人たちの中にも,すべてを解き明かす根本原理などないと思っている人がいるのではないでしょうか?

ところが,コンピュータ上のソフトに関して言えば,すべてが完全に 0 と 1 の列で記述されている,といって間違いではないのです.そこは,大きく違うところです.
[0174]渡辺 治 1999-08-06 (Fri) 07:26:25

ただ,先ほども述べたように,単に 0 と 1 で書けるということを知識で知っていても,感覚では納得できない面が多々あるでしょう.しかも,0 と 1 の世界にしてしまったのは,コンピュータの都合で,人間の都合ではありません.

それを納得してもらうには,やはり,ミクロな(あるいは,単純な記号だけの)物の見方だけでなく,意味を考えた階層構造を考えていく必要があります.

ただ,これも物理と大きく違うのは,コンピュータサイエンスそのものが,ある種の階層(物の見方)を決めるのではないという点です.コンピュータサイエンスは,複雑な物をうまくデザインする手法を開発してきました.いわゆる高級プログラミング言語がそうですし,オブジェクト指向という考え方もそうです.ただ,その階層の作り方は,それぞれの問題ごとに違うわけで,こういうきり方でなければだめだ,という決まりはないのです.

つまり,どんな世界を作りたいか,どうやって物事を見たいかに応じて,物の見方(階層)が導入されるわけで,コンピューターサイエンスは,その方法を提供してきましたが,物理のように,物の見方を規定はしていないのです.
[0175]根上 生也 1999-08-09 (Mon) 12:38:07
> と言われましたが,本当に皆がそう思っているでしょうか?
> 私などは,もしかすると,素粒子の相互作用では表せない
> 何かがあるかもしれないと思っています.本職の物理学者
> の人たちの中にも,すべてを解き明かす根本原理などない
> と思っている人がいるのではないでしょうか?

私が物理学を基礎科学に据えた世界観を述べるときに,「仮に現在知られている物理の理論がすべて正しいとすると」とか,「不確定性原理が働いて,すべてを正確に言いきることはできないという議論はおいておくとして」という言葉を添えていることをよく理解してほしいです.

私は「すべての人間が『原理的に素粒子論によって森羅万象が説明できる』と思っている」という命題を主張したいわけではないですよ.論理的には,この命題を否定するためには,反例を1つだけ(たとえば,渡辺さん)を示せばいいのでしょう.でも,そういう議論は意味がありません.そもそも私のいくつかの著作を見れば,私がどちらかというと神秘主義者のようなものであることが理解できるはずです.つまり,私も上の命題の反例なのです.

いずれにせよ,上の命題が表明しているような世界観とか,科学観とかが比較的浸透しているというのは,渡辺さんだって認めるところですよね.仮にその浸透度に疑問があるとしても,そういう構造と対比させて計算機科学を考えることには意味があります.
[0176]根上 生也 1999-08-09 (Mon) 13:02:47

さて,コンピュータの世界にも物理学的世界観と同様の階層構造があるわけですが,素粒子に対応する機械語(比喩的に言っているでけですよ,機種によって機械語が違うとかいう反論をしないでくださいね)の研究をすることが基礎的で,それこそ計算機科学だなんて誰も思いませんよね.

で,「計算」にしろ,「記号で書く」にしろ,コンピュータの世界では,階層構造の中のどの段階でも行われていますよね.

となると,確かに,渡辺さんも言っているように(表現は違うけれど),計算機科学の世界では,「基礎」という方向は階層構造の深さの方向とは独立なものになります.ということは...

「計算したり,記号で書くことが大事で,どの段階でも役に立つもの」というと,誰もが思い付くものがあると思うのですが.

いわずもがな,それは「数学」です.

確かに,コンピュータ・サイエンスに登場する記号は,微積分を最高峰に崇めた高校数学で習う記号とは別物ですが,現代数学が扱う記号とはそれほど遠くないでしょう.もちろん,記号の「形」が似ているとか,似てないとかではないですよ.
[0177]松井 知己 1999-08-11 (Wed) 06:41:49

>となると,確かに,渡辺さんも言っているように(表現は違うけれど),
>計算機科学の世界では,「基礎」という方向は階層構造の深さの方向
>とは独立なものになります.

根上さんの話が分からなくなっています.
階層構造というのは,計算機科学の中の階層構造の話を,
しているのですよね.

「基礎」というのは,例えば物理では,
素粒子論のようなものを指しているのですか,
それとも中高で習うニュートン力学のようなものを指して
いるのですか.

「基礎」の話をしているのは,「基礎科学」との絡みだとは思うのですが,
「計算機科学の基礎」の議論と,
「基礎科学」の議論はずれていませんか?
[0178]渡辺 治 1999-08-11 (Wed) 10:57:17

私もいくつかわからない点があります.まずは,松井さんの質問に関係する部分から.

>となると,確かに,渡辺さんも言っているように(表現は違うけれど),計算機科学の世界では,
>「基礎」という方向は階層構造の深さの方向とは独立なものになります.ということは...

なぜ,ここで,

>「計算したり,記号で書くことが大事で,どの段階でも役に立つもの」というと,...

という話が出てくるのですか?
[0179]根上 生也 1999-08-11 (Wed) 12:19:15

しばらく,ほうっておこうと思ったのに.

まず,自然科学全体にも,計算機科学(みなさんがどこまでの範囲を計算機科学と呼ぶかにもよりますが)にもある意味で似たよう階層構造がある.これはいいですよね.

自然科学の場合,素粒子論から始まって,化学,地学,生物学,惑星や天体,宇宙全体など,全順序集合ではないけれど,いろいろな階層があって,ある意味で,下のものが上のものの中に隠れているような関係があります.

(近年は,ミクロを対象にする量子力学と,宇宙を対象とする相対性理論がドッキングしているから,物の大きさに比例するような順序関係は壊れているとも言えるけど.)

計算機科学の場合には,機械語レベルから高級言語に向かう方向での階層化があります.私の口からすべてを言わないつもりで,データ構造の階層構造には触れなかったのだけれど,2進数,整数,浮動小数点数などの単純型から,構造体のようなデータ構造とか,データとメソッドのドッキングしたオブジェクト指向プログラミングがいうところのクラスとかに発展している方向性.もっと単純な例だと,単なる二進数が,点,線分,ポリゴンというグラフィック要素になって,それが組み合わされてでっかい恐竜の3Dデータになるといった階層構造もあります.(これは「文字だって記号だ」という私の発言に関係あり!)

いずれにせよ,作る要素と作られるものという関係が作る順序関係があって,それは実数値のように,のっぺりとした順序関係でなくて,ところどころに,だまになったところ,それを階層という,があるような構造になっている.

こういう上下の方向性をもった階層構造があることは共通しているのだけれど,物理学至上主義的な発想でいうと,この上下関係では下の方がより基礎科学だと思われます.(化学,生物,地学だっと「工学」などと比較すると基礎科学と呼ぶべきですが)

でも,計算機科学だと,下のほうがより基礎科学的だといったら,二人とも怒るでしょう.実際,渡辺さんが教えてくれるいろいろな計算機科学の研究例からすると,階層構造の上下方向は,基礎科学かどうかということを考えることには役立たないと思います.だから,「独立」だといっているのです.

作図の問題にしても,学習理論の問題にしても,私が言っている階層構造の中では,かなり上の方になっていると思います.それだって,記号で書けるから計算機科学なのですよね.一方,「+1,−1,==0?」の話になると,階層構造の中では,どん底に位置することでしょう.これも計算の話し出し,記号で書けるから計算機科学なのですよね.

いずれにせよ,基礎科学とは認めるための尺度を模索しているのですよ.

[0180]根上 生也 1999-08-12 (Thu) 07:31:55

1つ前の私は話,少々繰り返しになっていしまいました.いずれにせよ,「記号で書く」ことと,「3Dの恐竜が歩く」ことの距離感を埋めるための話にはなっていると思いますよ.(誰もそういう話をしてくれないから,私が表現したまでです.)そういうコンピュータ・ワールドを踏まえた上で,渡辺さんの言っているような「計算」とか「記号」とか「規則」とかを考えるべし,というのが私が企てていることです.

この鼎談の初めの頃に,「ソフトウェアの使い方のようなものが計算機科学と称されている」といった趣旨のことが話されたことがあったけれど,それを計算機科学と呼ぶべきかどうかはおいておくとしても,そういう営みもコンピュータ・ワールドの一員であることには違いがないわけです.そして,私たちが求めている新しい基礎科学はそういう中にも潜んでいるはずです.
[0181]根上 生也 1999-08-12 (Thu) 07:40:27
@.@-

書くだけかいてみて,松井さん,渡辺さんの質問に直接答えていない感じがするので,反省して,直接的な解答をします.

まず,松井さんの質問の答え.

>「計算機科学の基礎」の議論と,
>「基礎科学」の議論はずれていませんか?

そのとおりです.「自然科学の基礎」と「基礎科学」としての物理学を考えると,両者はほぼ同じようなもので,私が言っているところの階層構造における上下方向を1つの尺度として,基礎的かどうかが測れる.ところが,「計算機科学の基礎」と「基礎科学」としての計算機科学と思うと,そこにはずれがある.コンピュータ・ワールドの階層構造の上下という方向性が「計算機科学の基礎」を測る尺度にはなるだろうけれど,「基礎科学」かどうかの尺度にはどうやらならない.だから,階層構造の深さとは「独立」だと言ったわけです.

松井さんの質問の答えになっていますか?
[0182]根上 生也 1999-08-12 (Thu) 08:03:51

次,渡辺さんの質問に対する答え.

ここでは,渡辺さんが提示している「計算」「記号」「規則」などのキーワードを擁護しているつもりです.これらのキーワードが,すべてではないにしても,渡辺さんが考えているところの「基礎科学」としての計算機科学を特徴づけるものだと認めることとして,コンピュータ・ワールドを眺めてみると,私が言うところの階層構造のどの段階でも,そのキーワードは生きている.こういうストーリーなわけで,何も唐突な話ではないですよ.

まあ,「数学」を持ち出しているのは,唐突な感じがするかもしれませんね.どうしてかというと,それは論理的な演繹による結論ではないからです.「計算」「記号」「規則」,おまけに「論理」も入れて置きましょうか.これらが計算機科学を特徴づけるものだとすると,いったん,計算機科学のことには目をつぶって,そのキーワードから思い付くものを挙げてみる.それがやはり計算機科学以外のものではないのなら,そのキーワードは計算機科学を特徴づけるものに他ならないと結論づけられるでしょう.

その「思い付き」のプロセスは論理的ではありませんが,上で述べていることは,キーワードの必要十分性を示そうとしているとは思えませんか.そして,残念なことに,私(正確には,私が想定している「普通の人」)がそのキーワードから連想するのは,「数学」だと言っているのです.

また,私たちの求めている「新しい基礎科学」は自然科学とは違った尺度で測るべきものだという結論にも至っています.それを数学のうちとして捉えるか,その外に捉えるかは,議論の分かれるところですが,その「新しい基礎科学」の新しさをつめていくべきでしょう.
[0183]根上 生也 1999-08-12 (Thu) 08:09:10
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[0184]渡辺 治 1999-08-13 (Fri) 01:42:33
[0179] で,私がさぼっていたこと,つまり「記号で書く」ことと,「3Dの恐竜が歩く」ことの距離感を埋めるための説明をして下さってありがとうございます.

まずは,そういうことを言って欲しかったのですね.確かに基本的なこと(基礎科学の基礎と区別するために「基本」という言葉を使います)なのですが,そんなことを話していては,いつまでたっても基礎科学の話にたどりつけないような焦りがあって,どうもいつも先走ってしまうようです.

たとえば,数学で,どうやって方程式を立てて問題を解くか,とか,物理でいえば,どうやって運動方程式を使うか,といったことは,中学や高校で学んでくることで,今さら繰り返すことではないですよね.根上さんの [0179] の説明は,それに相当するものです.

だからといって,計算機科学は,数学や物理と違って,中学や高校では教えていないのだから,この点の説明を怠ってはいけない,というのはよくわかるのですが...

ちょっと横道にそれますが,これは,おもしろい問題点でもあります.つまり,中学や高校で数学や物理の基本を教えているから,つまり,そうした基本的な知識や考え方は,誰でもが一般常識として学んでおいた方がよいから,だから,数学や物理が基礎科学なのでしょうか?

そういう意味では,根上さんが [0179] で示されたような基本的な考え方,「いろいろなことを記号で書くことができる」という認識は,多くの人が知っておいて(体験しておいてよい)ことだと思います.
[0185]渡辺 治 1999-08-13 (Fri) 02:01:29

ただ,私は,基礎科学と呼ばれるためには,もっと別の要素が必要だと思うのです.俗っぽい言い方かもしれませんが,もっと崇高な部分が必要な気がするのです.それがないと,そもそも「科学」とも呼べないと思うのです.(その心配があるので,どうしても先走ってしまうのですが.)

その点からすると,根上さんの説明された計算機科学における階層構造の話は,あまりに基本的で,底が浅い話でしかないような気がするのです.確かに階層的に考えること,データ構造などを,単純なものから複雑なものへ組み上げていくことは,すべてを記号で表すときの重要な基本技術です.

でも,物事がそううまくきれいにいかないところが,もっと重要で,その苦しい部分をどうにかしようとしているところが,計算機科学の科学たる部分だと思うのです.

ですから,記号の操作(=数学)の部分は,単なる基本的な道具にしかすぎないと思うのです.(もちろん,そうした基本的な道具の積み重ねが重要な考え方を生むのですが.)
[0186]松井 知己 1999-08-13 (Fri) 15:38:23

私は、根上さんの言う階層構造の話は,ピンと来ません.
まず,「自然科学に階層構造がある」というのも,
「しぶしぶ納得している」というイメージです.
根上さんの言う階層構造は,物のサイズと,現在に到達するまでの歴史,
の2つが混ざったものに過ぎないように思います.
それは自然現象に内包されている構造ではなく,
人間が自然を切り分けて理解するために導入したものと思います.
さらに,根上さんが計算機科学の階層構造として出された例は,
計算機言語の歴史であって,
それを歴史の順番に沿った階層構造として捉える事が
有意義かは不明と思います.
でも今は,科学(教育)の話をしているのだから,
人間が自然の理解のために導入した階層でも構わないのかもしれません.
だから,「しぶしぶ認めている」という状態です.

この状態のため,次の「階層構造の存在が,
物理学が基礎科学であることに説得性を持たせている」
というのは,(夢のある言葉ですが,)
私はそもそも説得力を感じません.
そのため,その後の根上さんの展開で,
「計算機科学は,
自然科学と違う階層構造を持っている」
という結論に,大した意味があるとは思えないのです.

[0187]渡辺 治 1999-08-14 (Sat) 00:27:37

私は,根上さんの言う階層構造が重要な気がします.確かに,

> 根上さんの言う階層構造は,物のサイズと,現在に到達するまでの歴史,
> の2つが混ざったものに過ぎないように思います.

という側面もあります.でも,松井さんも言われているように,これは,

> 人間が自然を切り分けて理解するために導入したもの

です.たとえば,物理には,物理なりの切り分け方があって,その切り分け方が物理らしさを作っているのではないでしょうか.つまり,自然というのを,そのように見る,という見方(哲学)を規定しているのが,根上さんの言う階層構造だと思うのです.

ただ,それがあるから基礎科学となり得るという論法には飛躍があるとは思います.とくに計算機科学にはその考え方が当てはまらないと言いたかったのです.それが私の発言 [0174] であり,根上さんのコメント [0181] もそういう意味合いを持っているのかもしれません.

つまり,計算機科学の階層は,かなりアドホックに見えるのです.松井さんがプログラミング言語の歴史と言われましたが,そうでない階層もあります.つまり,やりたいこと,使いたいことに応じて,階層を自由に構成してもよいのが計算機科学なのです.

これは以前から言っている「構造がない」に通じることですね.構造がない,階層がない(物の見方を自由に決められる)というのでは,科学としての深みが出ないでしょうか?
[0188]渡辺 治 1999-08-14 (Sat) 00:44:38

少し見方を変えていいましょう.

物理でも数学でも,真理の探求という目標があります.多分,多くの物理学者(同様に数学者)は,我々の見ている自然の背後には,何らかの真理があると信じているのではないでしょうか.ただし,その真理をすべて言葉(記号)で書き表せるとは思っていないでしょう.(ちなみに,それが私の発言 [0174] の趣旨です.根上さんが言われているような [0175] 意味ではありません.むしろ逆でしす.)

これは単なる信仰かもしれません.でも美しいですよね.その真理をどうやって切り分けて,我々にわかりやすく見せるか?それが,物理や数学の目指すところだと思うのです.

一方,計算機科学の方は,最初にルールがあります.公理系といってもいいでしょう.あるいは,小さく言えば一つのプログラムと思ってもよいでしょう.
そのルールの上の小宇宙のできごとを研究するのが計算機科学な訳です.したがって,その小宇宙のすべてのことは,すでに書き表されているのです.つまり,その小宇宙自身が,すべて記号で書かれてしまっているのです.ここが,記号ではすべて書き表すことのできない(と思える)真理を探求している物理や数学と大きく違う点です.また,ルール自身も人間の希望に沿って作られるので,ときに応じていろいろと変わるのです.

私は,この違いを終始言ってきたのです.

では,ルールがすべて書き表されている世界の探求はつまらないでしょうか?あるいは,ルールがアドホックに決められるような世界群を扱うのは,基礎科学とは言えないでしょうか?
[0189]根上 生也 1999-08-14 (Sat) 06:54:20
やっと話が通じてきた感じです.渡辺さんの言っていることは私が言っていることと矛盾はしていないと思います.([0175]の私の発言は,一過性のものですから,あとまで引っ張る意味はありません.)

また,階層構造の例をいろいろ書きましたが,そこに書かれている個々の事例は納得がいかなくてもよいです.そもそも「階層構造」は人間にとっての有意味性を議論するために引き合いに出したものです.途中で,階層構造の深さの問題と自然科学的な基礎科学の話を絡めたことが混乱のもとだったかもしれませんね.

いずれにせよ,計算機科学が基礎科学かいなかという議論においては,階層構造の有無は無意味だというのが私の結論なのだし,その結論は松井さんの思いとも矛盾しないでしょう.
[0190]根上 生也 1999-08-14 (Sat) 08:05:55

それと,ルールがすべて書き表されている世界の探究を基礎科学と呼ぶというのにも同意してもいいです.現に,数学がそうですから.

たとえば,群論なら,群の公理から出発して,見えてくる世界を探究しているわけです.現代数学は,自然界に存在しない対象をたくさん扱っているので,分野ごとに共通のルールがないとやっていけないでしょう.

また,アドホックなルールを決めて,という研究もないわけではありません.でも,その場限りの議論だと,おもしろいと思われても,研究としては評価は低いです.だからといって,アドホックなルールの研究が簡単だと言っているのではありませんよ.中には,やれば難しいことがわかっていて,それに精力を使う使うくらいなら,他の研究をした方がよいと思われているものがよくあります.

たとえば,断定的には言えませんが,「3x+1」の話なんかは,その部類ではないでしょうか.偶数なら2で割って,奇数なら3倍して1を足す.これを繰り返すと,いつかは1になるというやつです.おもしろいし,その研究に生涯を費やす人がいても不思議ではないけれど,みんなで精力を費やしてするような研究ではないです.でも,フェルマーの定理や四色問題(整数論や,組合せ論の原動力となって,いろいろな分野を切り開いた)のように化ける可能性もあるので,「断定的には言えない」と付け加えたわけです.

いずれにせよ,計算機科学だって,どんなルールでもありというのは言い過ぎですよね.何らかの意味で,人間にとっての有意味であることが求められているのではありませんか?

単にルールを決めて,から始まるのではなくて,どういうルールにしようかなと思う段階があるはずです.

数学なら,数学者が直観する,もしくはあると信じている数理的原理や現象(渡辺さんのいうように,記号では書けないかもしれないもの)をうまく表現したり,解析したりできるようなルール(公理とか定義とかいってもよい)を選定する段階があります.(よく,「数学は定義が大事だ」という先生がいますが,それには私も同感です.研究者どうしで議論しているときは,何も定義せずに議論していて,それなりの結論に至ることがよくあります.次の段階として,その結論をうまく表現したり,簡潔に証明するためには,どんな定義が必要かという議論になります.)

物理学だったら,本当の物理空間というのがあって,もしくはあると信じて,それを記述するのには,どういうルール(原理,法則など)を設定するのがよいかと考えるわけでしょう.つまり,物理空間もしくは物理現象に思いを巡らす段階と,ルールを選定してモデル空間を作る段階があるわけです.

数学だったら,「数理的原理」 vs 「数学という学問体系の中で述べられた定理」,物理学だったら,「本物の物理空間」 vs 「物理学が記述しているモデル空間」という対立構造(仲が悪いわけではないです.どっちかというと仲がよい)があるわけですが,計算機科学にもそういう対立構造があるのでしょうか?

構造の欠如や「なんでもあり」を主張してきた渡辺さんの考えを察すると,そういう対立構造などないのです,ルールを決めて世界を探究すること自体が目的化しているのです,と言うのでしょうか? もしそうだとすると,計算機科学の「機」の字が余計な感じがします.(これは私の取り越し苦労なので,自由に発想して,答えてください.「なら,書くな!」「反省...」ひとりつっこみ.)
[0191]松井 知己 1999-08-14 (Sat) 14:43:30

>いずれにせよ,計算機科学が基礎科学かいなかという議論においては,階層構造の有無は無意味だというのが私の結論なのだし,その結論は松井さんの思いとも矛盾しないでしょう.

はい,矛盾はしていません.
[0192]松井 知己 1999-08-14 (Sat) 14:46:52
>ルールがすべて書き表されている世界の探究を基礎科学と呼ぶというのにも同意してもいいです.
私は,これに安易に同意するのは不安があります.
渡辺さんは,ここまで要求しているのですか?
渡辺さんが,ここまで要求していないなら,
上記の根上さんの発言は無視します.
[0193]松井 知己 1999-08-14 (Sat) 14:54:19

>計算機科学にもそういう対立構造があるのでしょうか?
構造の欠如や「なんでもあり」を主張してきた渡辺さんの考えを察すると,そういう対立構造などないのです,ルールを決めて世界を探究すること自体が目的化しているのです,と言うのでしょうか? 

ああっ,渡辺さんの返答が早く聞きたい!
WEB鼎談のもどかしさは,紙面では分からないでしょうね.


[0194]根上 生也 1999-08-15 (Sun) 05:48:07

上の松井さんの発言には,私も完全に同意します.
(この発言も無視していいよ.)
[0195]渡辺 治 1999-08-18 (Wed) 11:50:37

ごめんなさい.月曜からちょっと忙しくなって,昨夜は徹夜で原稿を書いていたものですから...メイルで来ると返事をしなければ,という気になるのですが,Web に書きこもうとすると,どうもおっくうになってしまいますね.

さて,本論です.

松井さんのコメントで気になることから:
>>ルールがすべて書き表されている世界の探究を基礎科学と呼ぶというのにも同意してもいいです.
>私は,これに安易に同意するのは不安があります.
>渡辺さんは,ここまで要求しているのですか?

んん??根上さんは,そういうことを言われたのですか?数学もそうなのですか?私は,てっきり,数学はもっと神秘的な真理を探求しているのだと思っていましたが.

議論をする土台として,公理などを持ち出して,フォーマル化していますが,本当にそれが数学なのでしょうか?極端な言い方をすると,仕方なく(職業上の理由で?)形式化しているのではないでしょうか?

もう少し穏当な言い方をすると,数学者は,心のどこかで「まだ書き表されていないけれども(公理と独立だけれども)明らかにされていない真実が隠れているのだ.私がそれを見つけてやるのだ」と思っているのではないでしょうか?違います?
[0196]渡辺 治 1999-08-18 (Wed) 12:05:17

根上さん曰く:
>構造の欠如や「なんでもあり」を主張してきた渡辺さんの考えを察すると,そういう対立構造などないのです,
>ルールを決めて世界を探究すること自体が目的化しているのです,と言うのでしょうか? 

この突っ込みは厳しいですね.実のところ,私自身の研究も,そういった対立構造を強く意識しながら進めてきたところがあります.

ただ,大きな違いは,世界の個数です.物理ならば物理空間は一つです.もちろん,見方(いわゆる階層構造のどこで見ているか)によって,どんな空間が対象になるかは,変わってきます.でも,極度の理想論をいえば,真実の物理構造は一つです.

一方,計算機科学では,真の世界が一つというわけにはいかないのです.たしかに,私のやっているような計算の複雑さの理論では,世界は一つ,真理は一つという面があります.(ただ,それもどんな道具を使ってよいかによって,まるっきり違う世界になってしまう場合もありますが.)

それに対し,プログラム言語の研究などをしている人にとっては,世界はいくつもあるような気がします.比ゆ的な言い方ですが,国の法律を考えてみてください.国によって,いろいろな法律がありますよね.また,その運用方法も様々です.それを統一的に見て,ある国の法律が妥当で,ある国の法律は,おかしい,と議論するのは,無理があるのではないでしょうか?


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